まだ、生まれて間もないころ、
とか、
少しずつ、気持ちを表情で表すようになってから、
とか、
日本語にならないけれど、発声し始めた頃、
とか、、、
夫が娘を抱っこして時々言っていたのが
「ねえ、パパのこと好き?」
でした。
好き?じゃなくて、好き。だよ
それって違うんじゃないの?
パパのことが好きかどうか尋ねるんじゃなくて、
☆☆ちゃん大好きだよ、って言うのが先じゃないの?
ワタシにとっての子どもの存在は、まさに、
子どもに好かれているかどうかではなく、とにかく、あなたがどう思おうと、ママはあなたのことが好きだからね、という存在なので。
嫌われちゃったら嫌われる理由があるはずなので、こっちも直さないといけないですけど、基本の「好き」はちゃんと表明しよう!って思ったんです。
ということで、本当に生まれた時からずーっと、
☆☆ちゃん大好き
を繰り返し言ってきました。
するとどんなことが起こるかというと、
ママ大好き
が戻ってきたんです! 何年か遅れで。これはかなりの感動もの。
えへへ、ちょっとだけ、仕掛けもしました。
もう少し大きくなってお話ができるようになってからですけど、「ママ抱っこ―」って来るじゃないですか。
で、しばらく抱っこしていると、本人は下ろしてほしくなる。
だめだめ、ママは抱っこマシーンじゃないから、都合よく抱っこして都合よく下ろしてあげられませーん。パスワードを言ってくださーい。
ぱすわーど、わかりません。
じゃあ、おりられませーん
(いちひめちゃん、「ぱぱだいすき」だよ)
ぱぱだいすき!
おしいけど、ぶっぶー
ままだいすきー♡
せいかいでーす!
みたいな遊びはやってました
やらせじゃん
そして今も
笑顔で接すると、笑顔が戻ってくる。
大好きって言うと、大好き、が戻ってくる。
これはもう、本当に大好きかどうか(が一番大事ですけど)より、反射です。脊髄です、脳幹です、小脳です。(って結局どこ?)
成人した今でも、
「ママ大好き」
って、(ときどき)言ってくれます。
その時の状況や、背景理由はいろいろですけど、ま、いいのいいの。
言葉って大切
ここからは、別に子育てというわけではなく、すべての人間関係において言えることなんですけど、
言葉は、その人を表すアウトプットの一つですよね。
通常、心で思っていることと、アウトプットである言葉は、ぴったり一致することが望ましいですが、
もしそれができない場合、あるいは、しない方がいい場合、
あなたは、
思っていることと違っていても、「言葉」にしたら、それがその人の意見、ととるのか、
あるいは
言葉と違うところにある、「思っていること」の方をその人、ととるのか、
どちら派ですか?
あれ、なんか禅問答みたいになってますね。
まぁ、どっちでもいいじゃん、って言われそうなので、くどくならないように書くと、ワタシの意見は
最終的には、言葉がその人を表す、でいいんじゃないの?って思っています。
思ったことと違うことを言う優しさもあるし、思ったことを言葉で表して初めて伝わる優しさもある。
思っているけど、言わない優しさもあります。
もちろん、優しさだけじゃなくて、言葉に現れる、冷たさとかズルさも。
だから、
良い言葉は、相手が赤ちゃんでも、どんどん使っていこうよ
ってことですね。
まだワタシが社会人だったころ、自分の両親にこんなことを指摘されたことがあります。
「ねえ、ごめん、が多すぎだよ」
あ、確かに。
それは自分の自信のなさの表れだし、自分の、ごめん、が、かえって人間関係を雑にしているなと気づいたんです…
そう思って耳を傾けると、ごめん、を連発する人って、ちょっとうzい…
それからは注意するようになりました。
そして新米ママだったころ、小さい子どもを抱えて、きっと大変そうに見えたのでしょう、見知らぬ方々からいろんな親切をいただくことが増えたのをきっかけに、例えばレジの店員さんにも
ありがとうございます。
を意識して言うようになった…その結果、
なななんと、
大きくなった我が子達が、外で、ありがとうございます!を爽やかに言っている姿を観測したときは、またまた感動しました。
これからも、良い言葉はどんどん使っていきたいですね。
息子の成長の記録は、時計と逆回転で綴っています。どうそ、にたろう もご覧ください。
コメント