はすちゃん手術を3か月で2回受ける | feel my force

はすちゃん手術を3か月で2回受ける

にたろう

今回は、にたろうが中学1年生の1学期のことです。

ワタクシ、下の子が中学生になったらやろう!と決めていたことがありまして、、、それは

手術。

一つは右葉甲状腺摘出(甲状腺濾胞腺腫)で

もう一つは子宮全摘(子宮筋腫)。

ありがたいことにどちらの腫瘍も良性でしたので、

切って、取ってもらうだけの手術です。

〈今回はいつもより長いのですが、2回に分けて書くほどのことでもないので長いままでお許しください〉

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手術に至るまで

甲状腺

甲状腺って2つあるんですね…

ごめんなさい、ワタシが無知なだけ

ずっとさかのぼって娘がまだ幼稚園に通っていた頃、人間ドックで、のど(右側の甲状腺の位置)にしこりがあることを指摘され、

「飲みこみにくいでしょう?」

と医師の先生に言われました。

あぁ、まぁ、確かに、ちょっとだけ。外から見ても膨らんでいる。

エコーを受け、生体検査も受け、そんなに大きくないので、経過観察となりました。

それから10年、しこり自体は徐々に大きくなっているものの、何の問題もないので、一応検査だけして、良性であることを確認しつつ放置してました。

主治医(甲状腺科)の先生に、先生なら切りますか?とお尋ねしたら、5年目くらいから毎回同じお答えをいただくようになりました。

「ボクにそれができたら、切りますけどね」

子宮

こちらはもうちょっと深刻で、子宮筋腫が見つかってからここまで約6年、過多月経に悩まされていました。

筋腫はどんどん大きくなり(つまり出血が多い)、

極度の鉄分不足になり、それが心臓の機能にも影響するほどで、一番ヤバイときは自宅の一階から二階に上がる階段で息が切れ、ハーハーいってました。

ヘモグロビンの値(6台、女性の正常は12~)をみて医師の先生に「このままじゃ死にますよ!」と叱られたことも。

こんな状態ですから、この手術の2年前ごろは、子どもたちの学校行事にもフルで参加することができませんでした。

当時のワタシは、切る決断を早くするべきだったのに、

どうしてこんなことになったのかなぁ、何がいけなかったのかなぁ…と病気と向き合う以前に、病気になった自分をどこかで責めていまして…

お薬で月経を止めてきついお薬なので期間限定、その間にマクロビオティックをしてみたり、民間療法を調べてみたり…(どれも間違ってはいないのでしょうけど、時すでに遅し)

現代の医療って、良性で命にかかわらないものについては、「なぜそうなってしまったのか」という研究は後回しなんですね。だから、原因なんてわかりません。

どのサイトも「子宮筋腫は女性の5人にひとりがかかる病気と言われています」とあるのみ。

一般的に、子宮の良性の病気は閉経したら自然に治っていくのだそうです。

・・・・・お願い、早く閉経してください・・・・・

と念じつつ、だましだましきたのですが、

「閉経って、遅い人だと50歳以降の人もいますよ」という医師の先生からの冷静なひと言…

当時まだ40代でして、あと5年以上これに苦しまないといけないの⁉来月終わる、とかじゃないの⁉

やっぱ、切るしかないかな

そのタイミングで息子が中学生になりました。息子が中学生ということは、娘はおかげさまで高校受験を経て、高校生になったところ。本当につかの間の”やれやれ”のタイミングだったんです。

そこで、初めて、セカンドオピニオン的にホームドクターの内科の先生に両方の腫瘍について相談したところ、

「子宮の方は閉経すればいずれ落ち着くでしょうけど、甲状腺の方は一生大きくなり続けますよ、体力ある若いうちに切っておくほうがいいですよ」

と、むしろ軽く考えていた甲状腺の切除の方を指摘されました。

ありがたいことに、もう片方の甲状腺は正常でしたので、一つとっても大丈夫でしょうとのこと、家族とも相談して、手術を受ける決断をしました。

「先生、それでは、二つとも手術していただける病院を紹介してください」

二つの手術を一度にできませんか?

なぜ、それまで何年も手術をしないで過ごしてきたかといいますと、

家を空けたくなかったから

ひとえにこれだけなんです。

家を空ければ、帰宅しても、子どもだけの時間ができてしまう、食事は?子どものお弁当はどうするの?

そして、

ママがいないと寂しいに違いない、みんなが不便に違いない

という思い。

パパはいますけどね、働いているママがいろんな時間を工夫して子育てとお仕事を両立なさっておられることも知っていますけどね…

こういうところが専業主婦の思い込みでございます…

まぁでも、ウチはウチだからなぁ。

手術を受ける病院は同じ病院ですが、別々に紹介状をもち、別々の科に行き、それぞれの先生にもう一方の手術のことも説明し、

同じ日に手術をやっていただくことはできないか

とお願いしました。

だって、入院が1回で済んだらワタシも家族も助かるじゃーーん。

 

甲状腺の方の科(耳鼻咽喉科)は、産婦人科次第ですね、と言っていただいたものの、産婦人科の方は

絶対ダメ!しかも、最低でも1ヶ月はあけないと!

という強い口調で即却下でした。

無理なことを素人が言ってすみませんでした、ということを、実際に手術を受けて実感しましたので、下の方で書きますね。

ということで、先に子宮全摘(5月)後に甲状腺右葉切除(7月)となりました。

「先生、手術までに何か準備しておくことはありますか?」

「ありません。元気で、体調の良い状態でいらしてください」

どちらも2週間程度の入院、もともと元気な人が良性腫瘍のある臓器を取るだけですから、おそらくそんなに難しい手術ではないはずです。術前に大変丁寧な説明も受けました。

術例もたくさんある病院だし、主治医の先生が執刀して下さるし、全く心配なんかないはずなんです。

それでもですね、麻酔関係を始めとした、いろんないろんな書類に同意のサインを何回もしていくと不安になっていくもの…

手術前日までに、家の中をピカピカにお掃除して、ワタクシが管理しているお金のことや事務的なことなどの引継ぎメモもつくり、

ご飯のことも困らないようにできるだけ準備して…出発だ!

なるほど、の連続

最初の手術

先に切るのはお腹です。

なぜこちらが先になったのかといいますと、やはりこちらの方が緊急度が高いのと、手術としての規模が大きかったから。

   

「はすちゃんさ~ん、起きてください、無事に手術終わりましたよ~」

摘出した子宮は、メロン大だったそう。

手術直後のワタシは、上半身しか自由が効かない状態でした。

そこから約半日かけて下半身の麻酔から覚醒し、術後3日ほどは硬膜外麻酔モルヒネの力を借りながら痛みを回避して、手術翌日からちょっとずつ歩く練習をしまさせられました。

一番痛かったのは、硬膜外麻酔が切れたとき。

お腹が常に雑巾絞りされているような痛み、世の中にこんなに痛い痛みがあるのかと…

痛みだけで衰弱してしまいました

が、それも日にち薬で、きっかり2週間で退院いたしました。

最初の手術の後

帰宅した後もすぐには動けないんですよね…

家では夫も子どもたちもワタクシのいない生活にすっかり慣れていて、それなりちゃんと生活してました。

だから、帰宅しても、ワタシが率先して家事をしなくてもよい状態になっていました。

(なんだ、こんななら、もっと早く手術の決断をしてもよかったのか…)

まぁ、それでもやっぱり、家族の一員として役に立ちたいじゃないですか。

ですから、手術後約1か月経ったある日、大型ショッピングセンターへひとりで買い物に出かけたところ、

すーーーーっと気が遠くなって倒れてしまいました

おかげさまで、クッションフロアの広いところでしたので、どなた様にもご迷惑をかけず、何ごともなかったかのように立って、買い物をして帰宅したのですが…

ワタシにとっての手術は大けがをしたのといっしょ。

そして入院という超運動不足の時間を過ごし、自分は元気になったつもりでも、全然まだまだでした。

日常生活を送れるのって、本当にありがたいことですね…

2回目の手術

そんなこんなで、こんどは甲状腺摘出の手術を受けました。

このとき、何度も言われたのが、甲状腺のそばには声帯があり、どうしても影響が出がちなので、ご了承ください、ということ。

こわいですけど、もちろん承知です。お願いします!

 

「はすちゃんさん、起きてください、手術が無事に終わりましたよ。お疲れさまでした。いや、お疲れだったのはボクたちの方か」

というひと言を執刀医の先生につけくわえられて、今回も無事に終了しました。

こちらは、麻酔も1回目より少なく、すぐ動けますし、痛みも多くありません。

おかげさまでこちらも2週間ほどで退院し、誰にも気づかれない程度のがらがら声もまもなく治りました。

ここからはキズがなおっていけば終わりです。

二度の手術から学んだこと

一度にできない理由がわかった

まず、同じ日になぜ二つの手術をすることを断られたかが、一度目のお腹の手術を受けて、すぐにわかりました。それは、

お腹を切ることが、大けがだから

です。

管理下とはいえ下腹部を10センチ以上切っているわけですから、痛みも強く、治すのに身体じゅうが大騒動だということは、切られた本人であるワタシが一番良くわかりました。

あぁ、だから、健康体で手術に臨むように言われたのか…

切ってくれるのはお医者さんですけど、その怪我を治すのは患者さん本人ですからね…

全身麻酔

手術前、該当の科の先生からお話を伺い、何枚も同意書を書いたのですが、それ以外に麻酔医の先生も来られ、こちらも同意書を。。。

数万人に一人の割合で麻酔がうまくいかない場合があると…

はいはい、もちろん同意です。

2回とも全身麻酔なんですけど、本当に、手術台にのって導入の点滴入りまーす、から、7秒くらいで意識が飛びました。

すごいですね、、、麻酔って。

全身麻酔は自発呼吸も止まるので、人工呼吸器をつけて手術が行われます。

自発呼吸も止める麻酔って、、、、、戻ってこれなかったら一応思いました

ところがですね、手術を受けているワタシは、2回とも超きれいなお花畑の中にいて、心がとてもウキウキしていました。

覚醒したときは、ちょっと残念だったくらい。これについては改めて書かせていただこうと思います。

いやー、それにしても手術も麻酔も、怖いけど、超ありがたい。

術後経過

そして肝心の術後経過ですが、

入院中は、管理してもらいながら元気になる時間ですから、痛い、とか、不便、とかを除けばめちゃくちゃ快適です。朝から寝るまで、全て自分のために使える時間!天国!

そして退院後は、

生き返ったっていうか生まれ変わった

かのように元気になりまして…

あぁ、もっと早く決断すれば、その分楽だったのに、という思いと、

でもやっぱり、娘と息子が高校生・中学生になってからでよかった、という思いと、、、

まぁ、どっちでもいいですね。無事なら。

そして、それまで思っていた、”「なぜそうなってしまったのか」という研究が後回しなのはおかしい・原因をつきとめなければ”

なんて思いはきれいにとんでしまいまして…ごめんなさい、これから子宮筋腫になるかもしれない方々…お役に立てずごめんなさい。

強いて言うなら、ストレスかなぁ、遺伝かなぁ…

でも、切るだけで元気になる病気だってある、ということだけはわかりましたし、医療界で「切る」という手段がこんなに支持されている意味もわかりました。

理由はわからない。でも、切ったら改善するという自信に満ちた外科手術!

現在、医師になった娘とよく話すのが、

「手術ができる人は元気な人」だし「手術は最終手段ではない」ということ。

私の甲状腺は一つになりましたが、正常に働いてくれています。

子宮は取るだけなので、影響なし。いろいろな不便から解放され、心も元気になりました。

現在は、他の臓器も極めて健康で、ただただ、あれは何だったんだろう?というかすかな思い出になっています。

手術痕については、お腹の方は今でもあるものの、のどの方はきれいに治り痕もわかりません。

そして、何と言っても、夫や我が子がめちゃくちゃ協力してくれて、自分たちのことは自分でやってくれて、ワタシの分までやってくれて、とても成長してくれた上から目線ごめんなさいことがありがたかったです。

友人も

実は、婦人科系の良性腫瘍を治療した友人は、案外たくさんいます。

ワタシ同様、子宮全摘した友人もいますし、だましだまし閉経までつき合って切らずにやりすごした友人もいます。

皆さんお子さんが小さいなかの決断で大変だったと思います。

ワタシ自身、30代~40代、いろいろありましたけど、よく頑張ったなと思います。

執刀医の先生に、こんなに大きくなければ、腹腔鏡でできたんですけどね…と言われました。

あー、そこは、ずっとかかっていたクリニックの先生は教えてくれなかったな…

腹腔鏡の方が、断然治りが早いんだろうな…

いえ、それは知りたければ自分で調べるべきことですし、当時まだどこでも腹腔鏡で手術ができたわけじゃないし、そもそも自分で決断したタイミングですからいいですけどね。

 

手術後10年経って思うこと。

そういえば、当時のワタシは全然汗のかけない体質で、熱が身体にたまり、エアコンなしでは生きていけない毎日を過ごしていました。水分もそんなに気をつけて飲む方ではありませんでした。

身体の毒素が外に出にくい状態が長く続いていたのが、よくなかったのなぁ

とか、

当時は当時のストレスがあって、それを排出できず、身体の臓器が身代わりになってくれてたのかなぁ

とかとか…

 

そんな、経験者のワタクシが皆さまに言えることはただ一つ。

  

世の中のお母さまお父様、「切った方がいい」と診断されたら、早めの決断も大切です。

今回もお読みいただきましてありがとうございました。

 

娘の成長の記録は時計通りに綴っています。どうぞ いちひめ もご覧ください。

 

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