にたろうの記事「勝負強い?」に対して、
今回はいちひめの
勝負に弱い
のお話。
いえ、厳密には、勝負に弱かった
お話です。
ちはやふる前夜のころ
ブログ上での娘はまだ小学生ですので、大きな勝負ごとなんかありませんし、
それで人生が決まることもありません。
が、
当時から、
どうも勝ち負けが決まることには向いていなかったようです。
娘は、小学生時代に競技かるたをやっていました。
「ちはやふる」ですっかり有名になった競技かるたですが、
当時は大会少ない=競技人口少ない、それはつまり、
結果を出しやすいかも
なんといっても、フォトグラフィックメモリを持っている娘ですから、覚えるのは得意。
手軽に成功体験させたい!
って思っちゃったんですよね…
当時は、中学3年生で競技かるたクイーンになり連覇を重ねていた楠木早紀さんという方が注目を浴びていて、
楠木さんは、その後10連覇されて、第一線から退かれました
彼女の勝ちっぷりが、かっこよかったんですよね~。
ということで、近くのかるたクラブに通って、学ばせていただきました。
場に並んだ50枚の札の位置を覚える。
これは得意。
読手の読みに合わせて正確に取る
これも得意
なはず…
大事なところで手が止まる
競技かるたは、E級あるいはD級から始まり、規定の大会で上位入賞するとC級、さらに、B級、A級と上がっていきます。
段位でいいますと、大ざっぱに、C級が初段、B級が弐段・参段、A級が四段以上です。
また、級も段位も一度上がれば落ちることはありません。
競技の難易度的には、
高校生の初心者さんが、部活で毎日練習をすれば、一年以内にC級までは比較的簡単に上がることができるレベルです。
猛者になると1年半でA級まで上がる高校生さんもいます。
それなら、そこまで敷居が高いわけではない、楽しくやって途中で辞めるのもありだし、段位を上げながら趣味としてずっと続けていってもいいし、と、ワタシ自身も、軽く考えていました。
小学生だった娘は、1週間の練習2時間程度で、E級の大会参加から始めました。C級になるのに数年かかりまして、B級になるのにまた数年かかりました。
C級からB級になりたての時期は、おそらく競技かるたが好きになった人にとってみれば一番楽しい時期だと思います。
と、同時に、ここでは
ただ札の位置を覚えているだけでは勝てない
という大きなカベがあり、そこを抜けるにはいくつかの新しいテクニックが必要になります。
札の並べ方や、耳の”感じの良さ”、札を送るときの相手との賭け引き
などなどです。
実際はもっと奥が深くて、例えば耳でいえば、「ふ」から始まる札を「f」で反応する、「f」になる前の息で反応する勝負ですし、審判がついてくれませんので、どっちの取りかで揉めたときのメンタルも問われます(過去の名人の方で、審判がいても驚くほど揉める人もいたな、、、)。
大会は、一般的には年齢も男女も関係ありませんので、
子どもだからといって優遇措置はありません。
超上位あるいは、一部の大会には男性/女性や学年/学生で分かれているものもありますが、
基本的には、近くで行われる競技かるた大会に片っ端から出て、級を上げていくしかありません。
さて、E級から始めた娘。
最初は、調子よく勝っていましたし、大会でも好成績を取り、
好成績を取ると練習も楽しくなるので、いいこと尽くしでした。
って、
親が思っていればいいし、その程度の距離感でよかったはずなんですけど、
当時のワタクシ、娘がベスト4に入ると、あとちょっとで決勝にいけたのにな、と思い、
準優勝すると、あとちょっとで優勝だったのにな、と思う母親でした。
これ、ダメダメ親の典型ですよね…(今は超反省)
でも、それには理由がありまして…
普段の練習試合では絶対やらないような試合をしてしまっていたからです。
例えば、たった一つのお手つきで調子を崩れてしまったとか、大会会場の異音が気になって最初から心ここにあらず的な試合展開を終始してしまったとか、、
あるいは、ここで踏ん張ればというところで、手が止まってしまった、とか。
勝ち方や負け方にも特徴がありまして、勝つときは一方的な試合が多く、逆にぎりぎりで競っていると自分から崩れてしまっていました。
そして、たいていの場合、本人はその場面のことをよく覚えていない。
これって、もはやメンタルの問題で、競技の上手下手とは違います。
って、今なら、あるいは第三者のこれを読んでくださる方全員が、指摘できるレベルですよね。
わざわざ大会に出かけて行って(今でもそうですが、大会数が少ないので朝早起きして他県にも普通に出かけていかなければいけませんでした)、1回でも勝てばまだなんとなく本人も納得できるんですが、
初戦負けのときもあるわけでして。
かと思うと、調子の良いときもあって、本人もひとつ勝てばノリノリになりますし、そのまま優勝しちゃうこともある。
すると、
負けたときでも、いつもの力が発揮できれば、と娘もワタシも思ってしまっていたので、
辞める
という言葉は娘にもワタシにもありませんでした。
ふわ~っと、メンタル弱めだな、でも、別に大きな問題でもないな、と思う程度だったのです。
中学の入試で
場面が変わりまして、今度は中学の入試でのことでした。
ぶっちゃけ、国立附属小の子が国立附属中に上がることは簡単です。
それでも、ここまで書いてきましたように、娘に対しては先取り教育から予習シリーズまで、いわば、県外の私立中学を受検させてもある程度合格できるレベルを目指して勉強させてきましたので、
中学入試の試験対策も、もちろんできていた
はず。
我が子が進んだ国立大学附属中学校はの入試は、当時、ペーパーテスト・実技テスト・面接の3本立てでして、下の国立附属小学校から上がる子には実技試験が免除されていました。
過去問もやったし、そんなに難しくないし、いつも通りの気持ちで受検してこよう!
おかげさまで入試当日も元気に受検をしてきまして、合格もいただきました。
その後、当時の小学校の先生から、「試験の成績」についてのコメントが個別で本人に対してありました。
これは息子のときはなかったので、中学から成績が戻ってきて、その後児童に伝えるかどうかは、小学校の先生の裁量なのだと思います。
そのコメントがですね…
意外。
だったのだそう。。。
え?意外って???え?
推して知るべしですよね…
ゆる~くバカ親入っててごめんなさい、でも、できる問題しか出ないし、本人も特にできなかった風でもなかったので…
どのくらい意外だったのかはわかりませんが…
うーん。
まぁ、合格をいただいたことですし、この件について、これ以上の情報はないのですが、、、
こういう場でも”勝負に弱い”ってことは、さすがのワタシも見過ごすことができないことだぞ、
という警鐘でした。
本音は、、どうしても行かせたかった国立中学校に合格してよかった、この地に引っ越してきて、行かせたい学校を決めて家選びをして、念のため受検した国立小学校に合格しておいて、よかった…そして、意外と言われたことをわざわざ教えてくれてありがとう。
メンタルの弱さは、、中学~高校と上がっていく中でも見え隠れしました。
小学校のこの段階で気づけたおかげで、
それからの娘の成長の中、大きな失敗を回避する材料にはなりましたが、
まぁ、歩いた道は結構遠回りでしたね…
それにつきましては、今後また触れていきたいと思います。
今回もお読みいただきましてありがとうございました。
息子の成長の様子は時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください
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