ブレーキ言葉を使わないで | feel my force

ブレーキ言葉を使わないで

いちひめ

ダメ

無理

それは難しい

がっかり

最悪

自分やお子さんの前向きになる思いに、一発でブレーキをかける言葉、つい使ってしまっていませんか?

百歩譲って、職場や学校で自虐的に使うのはありとしましょう。日本人ってそういうところありますからね。

本当はそれもやめた方がいいけれど

でも、わざわざそれを家庭で使うことないですよね。

わざわざ、それを我が子に向かってぶつける必要ないですよね。

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言霊はこわい

だめ、グズグズ、うるさい、

これらを漢字にすると

駄目、愚図、五月蠅い

駄目は、もともと囲碁用語。囲碁は陣取りゲームですが、どちらの陣のものにもならない一目を駄目といいます。「駄」は価値が低いという意味です。

愚図はもう「愚か」という漢字が入っている時点でアウト

五月蠅いは、五月に飛ぶハエのように耳触り、煩わしい。今はハエがあちこちで飛んだりしなくなりましたからなおさらですが、、、

我が子に向かって、あるいは我が子が自分に向かって、「あなたは価値が低い」だの「愚か」だの「ハエのようだ」などと言おうものなら、

親子超激バトル間違いなしのNGワードだということがわかります。

日本語は音読みと訓読み、比喩表現が多すぎて、つい音だけで軽く言ってしまいがちですが、

やはり使うべきではない言葉たちですよね。

しかも、日本語には言霊が宿っているといいますから、何か変な気が引き寄せられたら本当に大変。

嫌な言葉を使わなくても、我が子を注意することはできるのにね。

その冷静さを発揮するためには、我が子を注意する時間帯も大きな要素です。

夜は特に注意する

昼は交感神経・夜は副交感神経、自律神経には従う。

 

自分の身体についても我が子の身体についてもなんとなくそれには注意をするようにしていまして、

それってブレーキ言葉もそうなんですよね。

お昼なら使わないような言葉や態度を、気がつくと、夜は使っていたりする…。

夜ヒートアップすると、昼間の疲れもあるからでしょうか、収拾がつかなくなってしまうんですよね~。

まぁ、我が子相手の場合は、夫婦喧嘩みたいにエンドレスにはなりませんけど、子どもは大迷惑。

我が子に対する注意案件が夜に発生した場合は、なるべく手短にすませる。

 

何度かやらかしてようやく学び、注意するようになりました。

良い言葉で植物も良く育つ

ブレーキ言葉を止めるようにすると、ありがたいことに、良い言葉についてもどう使えばいいかの気づきがありました。

 

娘が小学校のときのお友だちで、

良い言葉をかけて育てる植物と、悪い言葉をかけて育てる植物とで育ちが違うとか、

水に向かって「ありがとう」を言った場合とそうでない場合で腐り方が変わった、とか、

クラシックを聴かせた植物とそうでない植物の育ち方の違いとかとか、、、

など、”言霊系”自由研究をした人がいらっしゃいました。

シンプルに面白い!

最近はYouTubeにもそれ系の動画がアップされていますね。

 

あるいは、酵母にクラシックを聴いてもらう酒造会社があったり、

たまごボーロ工場で「ありがとう」を流していたり…

最近はYouTubeでは流しっぱなしにするだけで願いが叶うおまじない動画とかもありますよね。

あれってなんなの?本当に効くの?

 

ここからは、完全にはすちゃんの独自意見なんですが、、、

 

よく波動を高くしましょう、とか、波動の高い人はポジティブになりやすい、などと言いますが、

怒り続けて波動が高い人は論外なので外しますね。

おそらく、人の(良い)波動を高くする行為の一つとして、

良い音をインプットすること

は比較的簡単な方法なのだと思います。

心地よい音楽を聴くのもいいですけど、

たぶん耳に入る音の中で、

自分の信頼している人から心地よい言葉をかけてもらうのが一番効き目がある

のではないでしょうか。

心にダイレクトに届くから。

だから逆も怖いってことなんじゃないかと

 

究極は、その言葉を発する方も受け取る方もお互いに善意の気持ちがあれば、一番良い形で届くでしょう。

だから…あくまでもワタクシの意見ですが、

工場で幼児の皆さんの「ありがとう」を流すのと、親が子に「ありがとう」を言うのとでは、効果が違うと思います。

ただ、受け取る方が、この声は幼稚園のお子さんが何度も練習して、純粋な気持ちでありがとうを言ってくれてるな、と思って嬉しい気持ちで毎回きけば、工場で働く方々の波動は上がると思いますし、

生き物としての食品にも”それなりに”届くと思いますよ。 

 

ですから、親が子にかける言葉は、いつでも、子どもの波動が上がるような言葉であって欲しいと思います。

もちろんこれは、音だけでなく五感…つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のどれでも共通していると思います。

手当て、とはまさしく「手を当てる」ことであり、手を当ててなでなですると「痛いの痛いのとんでいけ」が本当に効くから不思議ですよね。

きれいな風景、よい香り、美味しい食事…のおかげで、私たちは波動を上げているのだと思います。

それに、第六感といわれる気。ゆるす許す・赦す気持ちとか愛する気持ちとかは、伝わるべき相手には伝わりますよね。

人のためならず

情けは人のためならずといいますが、

良い言葉を言うことも、ブレーキ言葉を使うことも、突き詰めますと、

相手のためではなく、自分の波動に影響していることがわかります。

 

ワタクシが、ブレーキ言葉を止めようとふわっと意識し始めてから20年以上経ちます。

さすがにですね、20年継続すると、不意にブレーキ言葉が口をついて出てくるなどというミスもありませんし、

逆に他人様にブレーキ言葉をかけられてたまにあるイラっとする気持ちもいつのまにか消えて、

この人、まだ気づいてないんだな、ってなるべく冷静に聞き流すこともできるようになってきました。

 

な~んて、こんな風に文章にするとまたまた自画自賛大爆発になってしまっていますが、

    

自分自身は確実に成長させてもらったなと感じています。

 

まぁね、人生同じ時間を生きるなら、良い気や良い言葉に囲まれて生きたいし、そういう子に育って欲しい。

 

良い意味での波動を上げる努力は、これからも続きます。

 

今回もお読みいただきましてありがとうございました。

 

息子の成長の記録は時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください。

 

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