“Why am I so special?”
「アメリカ在住の日本人の方が、お子さんの通っている小学校で、このテーマで発表をするという宿題を出された。さて、その発表の出来は?」
というのがTwitterで話題になっていました。
あなたが小学生なら、あなたのお子さんがお子様から相談されたら、どんな内容にされますか?
みんながspecial、毎日がspecial
このTwitterのお父様のお宅は、すごく頑張ってお子さんの特技や特別な経験を考えて発表をしたそうです。
ところが、
他のアメリカ人のお子さんの発表をみたところ
「パパとママの言うことをきいて楽しく暮らしてまーす(^^♪」
みたいな、全然特別じゃない発表ばかりで、
この日本人のお父様は、
”special”を問われ、当たり前に他人との比較を考えたご自身の視野の狭さが恥ずかしくなった
と書かれていました。
素敵なお父様。
一人ひとりが special だし、そのspecial な仲間と過ごす毎日もspecial であり、
もっとそれを大切にしないといけない、と考えられたのですよね。
素晴らしい。
Because I am who I am!
確かに、一人一人が特別だし、それでいいんですけど、
実際は、その教育の弊害もあるよ、というリプもついていました。
すなわち、自己肯定感が強すぎる困ったちゃんも多い、とのこと。
実際、海外暮らしでこのポジティブ&ハッピーな自己肯定感を得て日本に帰国した方が、
謙遜を美学とする日本では浮いてしまったという事例もあるそうです。
学校で、
「私かわいい♡みんなから愛されてるぅ」
をみんなの前でアピールしたところ
「え?その顔で?」
と、いじめられたそう。
きつい…
でも、確かに、日本で友達に
「私ってかわいいでしょ」
の類を連発されたら辟易しちゃうし、
正直、
うざいです。
難しいですね。
小学校低学年は難しい
でもこういうことって、アメリカに限らず、日本でもありますよね。
我が子達が育った環境では、いえ、日本では、
幼稚園である程度自己肯定感を育てちゃったら、そこはとりあえずお休みで、
小学校からは、先生の言うことをクラス全員がちゃんときく、から入りますよね。
ですから、特に低学年くらいだと、自己肯定感強めのお子さんは、「ひとこと多い」とか「やりたがり」などと悪目立ちしていきがちです。
娘の学年も、その芽がゆっくり摘まれて、
なだらかになっていったように感じます。
悪目立ちをするというのは、下手をするといじめにつながるので、ものすごーーーく気をつけていたのですが、
おかげさまで、
いじめる方にも、いじめられる方にもならないですみました。
っていうか、
一般で耳にしたりニュースになるようないじめは全くなく、
ある程度の相手の自己肯定感をお互いに認め合い、
必要以上に排除をしない空気が、学校全体にありました。
当時の担任の先生の談によると、
「友達同士の小さなトラブルはあるけれど、基本的には口は出さないで、目をかけています」
と。
って、言葉で書いたら20文字程度ですが、これって大変ですよね。
クラス全員分ですよ。
国立小学校は、ともすると自己肯定感を高めに持つような自由度の高い教育をするように感じるので、
一般の小学校の先生より大変なんじゃないかなぁ。
大きくなってからはどうなの?
自己肯定感の強めな国で育っちゃうと、みんながみんな、”自分が自分が” の国民で構成されてしまうように感じてしまいますが、
実際、娘や息子が接する、日本に来る留学生さんや、逆に海外へ行って出会う名門大学の学生さんは、
全然そんなことないそうです。
謙虚だし、親切だし、日本のことをいろいろと調べて話題にしてくれたりして、とても接しやすいのだそう。
もちろん、距離感が縮まったらまた違うのでしょうけど、そんなの日本人でもそうですものね。
ワタシ自身、人数は多くないものの、日本に来られた外国人の方と接した中で、お国柄的な性格の違いを感じたことはありません。
もし、違いを感じるとすれば、
それは、自分が相手に対してとる態度の違いで、相手の態度も違う
というところでしょうか。
それはつまり、自分というものをしっかり持っていれば、他人から何か不愉快なことを言われたとしても動じないし、
本物の自己肯定感を持っている人は、自分のことを大切に思うと同時に、相手のことも大切にできる
ということかもしれません。
我が家の場合
そんな観点でワタシのここまでの子育てを振り返ってみますと、
例えば、学校で勉強するよりちょっと深めの勉強をさせることで授業についていきやすくしたり、
例えば、長期休みの課題などで入賞できそうなものを選んだり、
ピアノの発表会で間違えないで弾けるよう、家で特訓したり、
などと、
大きなマイナスを作らない、小さなプラスを出し続ける
をモットーに育ててきたように感じます。
その中には当然お友達と競うものもあって、競う以上は大きく負けない、できれば勝つ、というのも気をつけてきました。
娘はどちらかというと悲観的で、しかも心配性、
親であるワタシが追い詰めると力が出せないタイプです。
こういうタイプの子には、もっと自己肯定感を高めてあげないといけなかったんですが、
ちょっとワタクシが厳しすぎまして、
何ごとも、できた時は褒めるんですけど、
できないと、厳しくなっちゃってましたし、私自身不機嫌になっちゃってました…
しかも上の子。期待度が高い。
(はすちゃん言い訳してます)
ごめんなさい。
でも、あなたのためだよ。
って、ちょっと思ってました。
今考えると、ワタシ自身の本物の自己肯定感が足りなかったんだなって思います。
でも、そんなの新米ママが持ってるわけないじゃないですか、ねぇ。
それでもね、娘は、
ママに叱られて泣くことはあっても、泣いて帰ってくることはありませんでしたし、
ママに叱られたストレスは涙で流して、お友達に対して発散してくることもありませんでした。
ワタシが、次はこれをやろう、と言ったことは一生懸命取り組んでくれました。
あぁ、これって、ワタシがよくやったのではなく、娘が頑張ったんだな、って改めて思います。
一緒に歩いてくれてありがとうね。
これをお読みの子育て中のお父様お母さま方はぜひ、まずはご自身のことを肯定してあげてくださいね。
自己肯定感を本当に持ったのは大学生になってから
さて、我が子達が自己肯定感をきちんと持つようになってきたな、と感じるのは、
実は、大学生になってからです。
大学入試を経て、ある程度自分を認めることができ、
さらに大学生という身分で社会と関わったときに、そこそこやっていける自分がいたことで、
自信を持てたのだと思います。
実際、大学生になると、
自分は何ができるのか、何をしたいのか、自分の行動にはどんな意味があるのかを考えなければいけなくなり、
そこを自分が認められないと、たぶん苦しくなりますし、たぶん夢や希望を持てなくなります。
娘に小さい時のことをきいたら、
「わたしは、やるべきことを、ちょっとずつ多めにやるようにしてきた。」
と言ってました。
そうですね、我が子たちにとっての自己肯定感とは、
やるべきことをやった、その先に得たもの
であって、
「楽しく暮らしてまーす(^^♪」の世界線上ではないな、
と思います。
努力を続けた本人を、改めて褒めたいと思います。
バカ親炸裂で失礼しました。
息子の成長の記録は時計の逆回転で綴っています。 どうぞ にたろう もご覧ください。
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