令和の子育てでは、お子さまの個性を大切に、について書かせていただきましたが、今回は、すべての親御さんが子育てをなさる上で、絶対外さないでほしいということについて書きたいと思います。
親ガチャ・子ガチャ・学校ガチャ・友達ガチャ…ガチャが多すぎて不公平だ・他人はいいなぁ…などとうまくいかない理由をガチャのせいにする人もいれば、
人生全然ガチャじゃないし・自分が選んできたし・努力してきたし、できないのは向いてないからだけだからやらなきゃいいし…と思って生きている人もいらっしゃいます。
ワタクシの持論的には本当はガチャは存在しないと考えているのですが、
仮に、思いとは違った人同士が親子になってしまったとしても、
せっかくのご縁で親子になったのですから、お子さんには幸せになってほしいって思いますよね。
いや、ぜひ、親であるあなたもお子さんを通じて幸せになっちゃいましょう、というのが今回のお話です。
喜怒哀楽の蓄積割合に注意する
喜怒哀楽、という言葉がありますが、「喜」と「楽」の多い子ども時代を過ごすことはとても重要なことです。
「喜」と「楽」
喜怒哀楽の中で、「喜」と「楽」は、シンプルに「うれしい」「たのしい」で沸きあがる気持ちですよね。
ご飯がおいしい。これは、「喜」であり「楽」ですね。
赤ちゃんが親に笑顔を向けてくれただけで、親は「喜」と「楽」をたくさんもらいます。親が目の前ににこにこしてくれるから、赤ちゃんも「喜」と「楽」で満たされて、またにこにこしてくれて、「喜」と「楽」の増幅をしてくれます。
これは赤ちゃん時代だけのことではありません。「喜」と「楽」を子ども時代をたくさん経験させてあげて「喜」と「楽」の思い出でいっぱいにしてあげてください。
「怒」
赤ちゃんが泣いて意思表示をしているような場合は「怒」とよばない、親が子にきつく注意するのは「怒る」ではなく「叱る」とよぶことにします。
「喜」と「楽」がシンプルに湧き上がるのに対して、「怒」は、いろんな気持ちが混ざって、積みあがって、複合して作られる感情です。
外で嫌なことがあった→家では別件で注意された
これが一回あっただけで「怒」になる人もいれば、ずっと我慢し続けてある日「怒」を爆発させる人、「怒」をため込んで病んでしまう人、、、
一番いいのは、「怒」以外の感情にさっさと変えて忘れて欲しいわけですが・・・
こういうのって、たいていの場合本人は気づいてないので、親が先に気づいてあげて欲しいんです。
そして、一緒に「怒」ってあげたり、「怒」の逃し方を指南したり、それよりも大きな「喜」や「楽」を与えたりしてあげてください。
お子さんがため込んでいるものがあったら、お父様お母さまが引き受けてあげることも時には必要です。
「哀」
「喜怒哀楽」に似た言葉で「悲喜こもごも」がありますが、これは「悲」と「喜」が同じ重さに扱われているように感じます。
18歳までに、「悲しい」はあっても、「哀しい」はあってはいけないと思います。
「悲しい」は、「心が痛み、辛く、切なくなり泣きたい気持ち」で、
「哀しい」は、「あわれで、悲しく、切なく、胸が詰まるような気持ち」です。特に「哀しい」の「哀」は、「あわれ」と読むことから、より胸が詰まるかなしい気持ちが強い表現です。
どうか、お子さまがそこまで追い詰められないよう、常に守ってあげてください。
さて、本題はここから。
ミラーニューロン
1990年代に見つかった「ミラーニューロン」という神経細胞。ミラーニューロンには「目で見た人の動きを、体が勝手にコピーするように働く」という働きがあります。
これは、「DNAの発見に匹敵する」といわれるほど、脳科学や心理学に大きなインパクトを与えた発見なのだそうです。
そりゃそうですよね、生みの親も育ての親もどちらもとても重要だという発見ですからね
上述した、赤ちゃんの笑顔もミラーニューロンの働きだという説もあります。つまり、もとは親の笑顔を赤ちゃんが真似しているというわけです。
また、これは行動だけでなく、雰囲気、意識までもコピーするとも言われています。
理想の人に会えば、その人の所作や好み、意識の持ち方さえも読み取り、脳はコピーしようとします。実際にコミュニケーションをとるとさらに効力が増すのだそうです。
反対に、すぐ怒ったり、いつもイライラして機嫌の悪い人がそばにいると、脳はその行動だけでなく、機嫌の悪い原因までコピーして、いつの間にか自分もネガティブになってしまうのだそうです。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人間のミラーニューロン・システムを研究するMarco Iacoboni氏は、
ミラーニューロンは脳の中の無意識の部分で動作していて、そこでは、「想像と現実」、「未来と現在と過去」、「自分と他人を区別できない」
という説を述べています。
つまり人は、善悪の判断とは別のもっと深いところで、身近な人の振る舞いや考え方を無意識にコピーさせられているのです。
もし、外から持ち込まれた、あるいは小さいときから蓄積された、親の「怒」や子どもの「怒」が家族の中で行ったり来たりし始めたら…
ちょっと怖くないですか?
よく怒る人の特長
他人様をみるとよくわかるのですが、「怒る人」と「よく怒る人」の怒りのメカニズムは全く別で、
「よく怒る人」は間違いなく、
- 自分自身が納得できない理由でよく怒られてきた
- 「怒る」以外の表現力が乏しい
- 「~でなければならない」の気持ちが強い
- 自分のことが好きではない
のような、過去から蓄積された怒りが原因になっていて、それを原点に、新しい怒りのネタが見つけて「怒る」を繰り返しています。
これはなかなか治りませんし、こんな人に怒られたら、ただの不運です。
ですから、ミラーニューロン的にもそういう他人様には「近づくな」「距離を取れ」はとても重要です。
我が子がそんな大人になったら、親はやっぱり残念ですよね。しかも「怒」はお子さんの進む道をふさいだり邪魔したりしてきますから、百害あって一利なしです。
もちろん、急にお子さまが「よく怒る人」になったりもしません。
そうならないためにも、
- お子さんの話もきく(承認欲求を満たす)
- 親が子を叱るときは理由を明確に
- お子さんにぴったりの成功体験をさせる(「~でなければならない」を押しつけない)
という点に気をつけながら育ててあげてください。
子ども時代は18年間しかありません。
たった18年しかない子ども時代のほとんどを、親の影響を受けて過ごす以上、お子さまを、子どもらしく・親からたっぷりの愛をもらい・「喜」と「楽」で満たしてあげましょうよ。
それができるのは親だけですから。
それができれば子育ては成功ですし、正しく自立していきますから。
無駄な努力を避ける
さて、
数行上で、たった18年しかない子ども時代を、子どもらしく・親からたっぷりの愛をもらい・「喜」と「楽」で満たしてあげて、とさらっと書いてしまいましたが、
子どもらしく…これはお子さんに任せるとして、
「親からたっぷりの愛」と、「喜」と「楽」で満たしてあげて、についてもう少し具体的に書きますね。
あなたのお子さまは、何らかの事を成すために生まれてきました。
と、仮定しましょう。
ーーですから、親は、お子さまが正しい努力をして、事を成すことを手助けしなければいけません。
基本は健康で正しく成長してもらうこと。
そしてさらに、お子さまという素材をどこまで生かして伸ばしてあげるかです。
〇〇ができる人が勝ち、とかいう市場価値にとらわれないでくださいね。お子さまの本当の価値を見出して磨いて磨いて、そのうちお子さま本人もそれに気づいて自分で磨けるようになることが大切です。
ありがたいことに、今は、子育てをするのに母親が専業主婦にならないとやっていけないという時代ではありませんし、元気なおじいちゃんおばあちゃんの手も借りたらいいと思います。
それでも手が足りない、という方、京都の三十三間堂へお詣りして「手を貸してください」とお願いすると手を貸していただけるそうですよ。終わったらちゃんと返しに行ってくださいね。
そこまでしてでも、お子さまという素材を生かしてあげてください。
ただし、そのためには
無駄な努力をしない+させないことも大切です。
どう考えてもこれは無駄だな~、と思ったら、避けた方がいいです。もしそれが他人様に迷惑のかかることなら、さっさと親が頭を下げることも必要です。「怒」りながらやっても驚くほど身につきませんし、トラウマになりかねないので。
もちろんこれは、例えばお子さまが学校の教科の勉強が嫌いならしなくてもよい、という意味ではなく、不得意なものを嫌い嫌いと思いながら我慢してやることが無駄な努力であるという意味です。
親が得意になるきっかけを与えたり、他人の力を借りたり、他の教科でカバーするでもいいよ、と気づきの糸口を与えてあげることで、お子さんは意味のある努力ができるようになります。
お子さんが頭の中で考えたことや努力したものは全てお子さんの財産になりますから、無駄な努力をしないことが、有意義な結果につながります。
もし瞬間風速的に失敗しても、そこをどう切り抜けるかの試験を受けているだけと考え、さっさと切り抜けてしまいましょう。そこに長居して親子で悶々とする必要は全くありません。
子どもって、案外切り替え早いですよ。
むしろ、お父様お母さまだけ取り残されませんように。
親であるあなたの人生でも「あのとき、ああしておけば」は、なしで。
それを一つも生み出さないよう、今を後悔なく生きてくださいね。
もし今「あのとき、ああしておけば」をお持ちなら、負の転写が起きないようにするためにも、
「あのときはあのとき。今は今。今が一番大切。」と記憶を上書き保存しちゃった方がいいです。
最後まで伴走してあげてください
最後まで伴走するよ、と親が思っていても、いつか必ず子どもは親の先を行くようになります。
だから、伴走できるときは遠慮なく伴走してあげてください。
伴走できなくなっても、見守って愛してあげてください。
癒し・助け・気づき・知恵を与える存在であり続けてください。
いつでも、ですよ。
いつまでも、ですよ。
親である私たちも、これまで多くの人から愛され見守られ寄り添われ励まされてきましたし、今もその愛を受けています。
あなたがもらった愛を、何倍にもしてお子さまに注いであげてください。
ミラーニューロンですから。
あなたにも戻ってきますし、他の人にも写されていきます。
我が子が、そんな大きな愛のある人に育ってくれたら親も子も幸せじゃないですか。
息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください
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