習いごとのやめどきでご紹介しましたように、娘の習いごとについては、
- いろいろやりました
- それなりにプラスにはなった…けれど
- 大きな収穫がないまま大学生になった
感が強いです。でも、続けて続けて、また再開したらやっぱりプラスだったことがありました、というのが今回のお話。
子育て前半で悩むのが習いごと。
就園前まで・就学前まで・小学校3年生くらいまでの区切りで、新しい習いごとを始めたりやめたり…お友だちが夢中になっていると耳にするとウチも体験に行こうかな、とか、親がやらせたくて習わせちゃったけど子どもには今イチだったり、
これいいねこれでいこう、というものが決まるまでは親はなんとなく迷う毎日。しかも、親の本音は
今しかできないことを効果的にやらせたいんです。
適切なタイミングで始めたい、子どもにも好きになってもらいたい、長く続けさせたい、できれば成功体験を積ませたい…
あぁ、ワタシって欲張り
そんなもやもやした思いのまま、娘は年長さんのときから空手を始めました。
なぜ空手?
(内容が過去記事と若干かぶっていますことをお許しください)
もともと、夫は娘に柔道をやらせたかったんです。
でも、柔道と言えば、投げられたときに受け身を上手にとれるようになるのが基本だから、
あまり小さい子が、受け身の練習ばかりじゃなぁ、、じゃあ空手かな。
女の子はいざというときに身を守れることは大事だから。。。
とまあ、夫の心の中では空手と決めていたそうです。
え゛~~~~~
それよりも華やかにテニスとか習ってもらいたいなぁ~
テニスはどう?
空手かテニスか、、、結論が出せないまま、ある日ポストに入った空手教室開校のチラシ。
〈対象年齢:5歳より〉
じゃあ、体験レッスンに行ってみようか。
怖い男の先生
そこは大手スポーツクラブが地元の空手教室と組んで新たに始めたところでした。
怖い先生と、優しめの先生(どちらも男性)の計二人で教えてくださいます。
その日参加していたのは、幼稚園から小学生低学年のお子さん15人くらいだったかな、、、
しかもですね、怖い役?の先生が厳しいんです。
正座をきちんとしろ、人の話をきいているときにあくびをするな、よそ見をするな、正しい姿勢…
まずそこから。
武道をやるなら当たり前なんですけどね。
そもそも娘がそれまでにどれだけ正座をしてきたか…?…ほとんどしてない
その正座でじっとしていられるか…?…未知数
しかもできていないと叱られる。
まぁ、さすがに叱られ役は小学生のやんちゃ男子君たちですから、娘が直接叱られたことはありませんでしたが、叱る声が耳に入るだけで怖いだろうな。
娘にとっての男性の大人といえば、お父さんとおじいちゃんしか接点がないような生活をしてきていましたので、続けられるかなぁ、という思いが半分、でも、新しい世界を拡げるチャンスだろうなぁ、というのも半分。
ただ、開校したばかりですので、年齢はばらばらでも全員同じスタートラインで始められますし、
週1回1時間、しかもスポーツクラブの掃除の行き届いたきれいなフロアーでできるのなら…
いいかも☆
って思ってしまったんですよね。
ここに入れよう!
こういうキリっとした空間を親子で楽しんでみよう。
ワタシのテニス習わせたい熱はどこへ?
成功体験を積むのにちょうどよかった
今思えば、な~~~~んにも考えないで勢いで入れただけの空手教室でしたので、空手衣に白帯巻くんだよね、段位をとったら黒帯巻けるんだよね、程度の知識しかなく、
- 流派がけっこうたくさんある
- 級は地元の先生の昇級審査で上がっていくが、段位を取るには都道府県単位の昇段審査を受けにいかなければならない
- 流派別の試合の他に、空手道連盟という流派混合の試合がある
- 試合は地方大会から全国までつながっている(世界につながっているものもある)
- カテゴリーには、形(かた)と組手(くみて)があり、どちらも合格しないと昇級昇段はしないが、試合はどちらかだけの出場もできる
などという、大まかな知識もあとで知りました。
まぁ、小さいうちは、昇級審査に向けてレッスンを受けていればいいだけのことよね。
とりあえず始めよう!
結局一生懸命になるのは親
東京オリンピックの空手競技をご覧になった方はご存じかもしれませんが、
空手には「形(かた)」と「組手(くみて)」があります。
喜友名選手の世界一の演武をみると、「形」がどれだけ大変な技の組み合わせなのか、ご覧になった方ならおわかりかと思いますが…
当時のワタシはもちろんそんなことも露知らず、
「形」は踊りにしか見えませんでしたし、小さい子の「組手」は実際に打ち合う練習ではなく、動きの決まった約束組手でしたので、
要するに、どれも動きを覚えればいいんだね、と理解したワタシ。。。
覚えるべき形の動きの本を図書館で探す、書店で見つけたら買う、ワタシが先に動きを覚える、幼稚園から帰った娘に教える…次のレッスンで先生に直してもらう…
の繰り返しでした。
結局、最初は親が一生懸命になる・我が子ができるようになると親が喜ぶ・子どももうれしい、のパターンです。
でもね、それでも褒められたんですよ。
娘は褒められて伸びるタイプ
初めて試合に出させてもらう
娘が初めて出た試合は、小学校2年生のときでした。
”地方大会”よりもさらに下、市内の同門の教室が集まって開催された小さな大会でした。
いわば、”試合に出る練習の大会”です。
そういえば、普段教えていただいている先生って、もともとはどこの教室にいらっしゃるんだろう?(それすらも知らない)
2学年1グループ、有段者とそれ以外に分けられ、せいぜい3~4回勝てば優勝です。
とはいえ、我が家としては知らないところへ”乗り込んでいく”レベルの緊張感で行きまして、
娘もかなりの緊張感だったと思うんですけど、3位以内に入ってメダルをいただいて帰りました。
やるじゃ~~~ん、えら~~~い。
めちゃくちゃお手軽な成功体験だ、と、一番に喜んだのは、娘ではなくワタシだったかも。。
母親のプレッシャーが徐々に娘を圧迫する
娘はその後、地方大会に出るようになり、地方では結構ないい成績を取れるようになりました。
小学4年生で黒帯をとり(これは週1レッスンだったからで、週3くらいでやっているお子さんはもっと早く昇段します)、スポーツクラブの出張レッスン以外に本家の教室にも練習に行くようになりました。
なんといっても、空手は競技人口が少ない、しかも女の子はさらに少ないので
ちょっと上手いと上位の常連になることができたんです。
ほんとにちょっと上手いだけですよ。
それでも、続けていることで教室外の友だちも増え、小学生高学年になると、誰が強くて、誰がライバルで…などがわかってきます。
上の学年の先輩のなかには全国大会に出場し、それをきっかけに強い空手道部のある私立中学に進む方もいます。
娘が将来空手で生きていく展望は1ミリもなかったものの、全国大会に出させたいな、どのくらい通用するのかな、などと夢を描き出す自分がいまして…
そして、大会に出るとビデオは撮るわ、あとでそれを見返すわ、口出しするわ…
うざい母親
それでも娘は一生懸命ワタシの話をきいて直して、また次の課題を見つけて、、、、
よくあることなんでしょうけど、
娘にはそれがプレッシャーだったんですね。。。
試合の大事なところで、すごくうまくいくときと、ありえない動きをしてしまうときがでてきました。
練習では一度もやらないような、試合でしかでてこないミスを、ときどきやることがありました。
一年に一度しかない、しかもあと一つ勝ったら全国に行けるチャンスを逃したこともありました。
今思えば、娘は大きなプレッシャーと戦っていたのだと思います。
でも、本人自身がプレッシャーと戦っていることにもあまり気づいてなかったのか、黙々と努力していました。
そして、本番で思わぬミスが出てしまう。
ありがちといえばありがちですが、
あのときの娘に対して、当時のワタシはもっと的確な対応はできなかったかな、、、と思います。
結果じゃなくて、これは、娘の健全な成長のためにやっていること。
成功体験も、失敗体験もみんな娘にとっての宝であること。
このことは、先生・先輩・子育て本・教育者・何かを成し遂げた人…どなたもがおっしゃる言葉なのに、当時のワタシは、
いや、娘ならもう一歩先に行けるに違いない、もうちょっともうちょっと
と欲張っていました。
ワタシの至らなさのせいで、当時の娘は少しずつ、本番に弱い子、になっていきました。
それでも、努力していたし、頑張ってもいました。
いつか超えられるだろう、だって、こんなに練習してるんだから、とワタシが思ってしまっていました。
あのときに一番欠けていたのは、あきらかに「空手を楽しむ」ことでした。
成功体験は積んだけれど、「楽しい」とは別でした。
空手その後
娘は結局小学生と中学生のときに1回ずつ全国大会に出場しました。
そこそこ強いかもしれないけど、空手だけをやる人たちには到底かないませんので、もうこの辺で十分。せっかく長く続けたのでキリの良いタイミングで辞めたいよね…ということで、
結局、中学の最後の大会まで出て、辞めるときはすがすがしい気持ちで卒業しました(たぶん)。
やり過ぎなほどやったから、二度と空手をすることはないだろうなぁ。
高校は、全く別の部に所属し、大学入学後も新しいことをやる気満々だった娘ですが、、、
なんと、大学の空手部に子ども時代に通っていた空手教室の先輩がいらしたことから誘われ、
空手を再開することに。
びっくり!
え?もう堪能したんじゃなかったの?
今度は、親が全く関係しない、練習も結果も自分たち次第の活動です。
しかも、流派が違うので、白帯からスタート。
(結局二つの流派で段位を取ったので、黒帯も2本持っています)
もうワタシの出番はないので、自由に楽しんでね。
医学部の運動系部活は、いわゆる学連とは別に、医学生だけの大きな大会があります。
つまり、大学4年生までの学連とは違い、6年生まで出られるということですね。
そして、大学内でも部活動が他の学部と別組織になっていることが多いようです。
例えば東京大学だと、東京大学陸上運動部と東京大学鉄門陸上部のように。
ハナから、学連の方には出ないっていうゆるめの組織ですね。
もちろんインカレに出て入賞する本物のアスリートの方もいらっしゃいますが、それはレア中のレアな方です。
そんなわけで、娘にとっての最も大事な大会は医学生だけの全国大会でした(実際は東日本・西日本に分かれていました)。
そうなると、経験者は大変重宝されまして、ブランクがあったとはいえ、また、優勝を含む上位入賞を重ねることができるようになりました。
もちろんこれが、娘にとっての新たな成功体験になったのは言うまでもありません。
小学生当時の娘にとっての空手は、「親がやりましょうというからやっていただけ」でも「続けていたからそれなりに強くなった」程度の競技だったと思います。空手の練習は好きじゃなかったし、先生のこともどちらかというと嫌いだったと、大学生になってから教えてくれました。
息子も一緒に空手を習っていまして、一緒に通ってたから続けられた、とも。
そういうこと、親には何にも言わずに過ごしてたんだね…怖かったのは、空手の先生ではなくて、母親だったかも。
それが、大学で「大好きではないけれど、やってもいいかな」という距離感で始めたら、いい結果が簡単に出るので、楽しくなっていったのだそうです。
娘が小学生のときに、よく嫌だとワタシに言わなかったな…
そして、大学で再びやる気持ちになれる距離感でよかった。
子どもがつぶれてなくてよかった…
子ども時代って、難しいですね。
当時の娘の思いだけを優先させてしまって、中途半端に辞めていたら、今がないことも知っています。
でも、”本番に弱い”を作り出したのは、ワタシの態度だったかもしれない、、、
継続してやらせるのって難しいです。
とまぁ、ここまでは、子ども時代に本当に好きな習いごとに出会うのって難しいですね、のお話なのですが、実は、その続きがありました。
就職してから
現在娘は初期研修医をさせていただいているのですが、
医学部というところは、就職してからも医師の仲間として縦も横もつながっていくコミュニティで、出身地・出身高校・出身大学・勤務先病院・専攻の科といったつながりだけでなく、サークルのつながりや大会出場経験までつながっていくコミュニティのようです。
娘の就職後、娘の初期研修医仲間で医学生の体育大会に出ていた話になって、「**で〇〇位だった」という話で盛り上がったり、
あるいは、ずっとずっと先輩の偉い先生が、「◇◇大学空手部といえば、※※先生いらっしゃるよね。戦ったことがあるよ」と、わざわざ声をかけて下さったりなど、
全くつながりがないと思っていたところが何かしらつながって、それが宝になっていく経験をさせていただいているのだそうです。
本当にありがたいことです。
医師という仕事の基本に体力は欠かせませんので、スポーツをさせたのも今ごろ役に立っています。す。
娘は、空手の他に、幼稚園~小学校時代に、前後したり並行したりで体操教室と水泳教室にも通いました。
「空手、やってよかったよ。」
なるほどねー、就職してから実感することもあるのか…
何がどうつながってくるか、わからないものですね。
人生長いな。
息子の成長の記録は時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください。
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