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量子力学と子育て

子育て

量子力学というと、現代物理の最先端。専業主婦のワタシからは最も関係のなさそうな分野ですが…

    

みなさんは、二重スリット問題やシュレディンガーの猫のパラドックスについてご存じですか?

今回は、量子力学と子育てを、無理矢理関連付けた話題です。

 

二重スリット実験は、一番古くは1961年に行われたそうです。

粒子として考えられていた電子が、スリットを通り抜けて壁に当たった時、壁に出来る縞がスリットの形になると予想されたにも関わらず、干渉縞という、波状のものが当たった時の形が現れました。

電子は粒であって、波ではないと解釈されていたので、干渉縞が現れるのは矛盾でした。

そこで次に、一粒一粒の粒子がスリットを通り抜ける時に粒から波になる瞬間の振る舞いを観測するため、そばにカメラを置いてスリット近くの電子の振る舞いを観測したところ、なんと、壁には干渉縞ではなく、スリットの形が現れた、

という実験です。

1999年には、さらに粒の大きいフラーレンでも同様の現象が起きることが実験で確認されています。

 

ここまでの不思議な点は、

  • 粒子なのに、波のような動きをする
  • 観測されると、振る舞いが変わる

という点です。

二重スリット実験の有名な動画

  

このように量子力学では、人間が見ることがミクロの物体の状態を変えます。

その波動関数が確率と同じ式で表せることから、確率に置き換えて考える方向に議論が進みますが、

この考えを推し進めると私たちの常識とは異なる結果が導かれてしまう、

という矛盾をついたのが、シュレディンガーの猫です。

 

蓋のある密閉状態の箱を用意し、この中に1匹の猫を入れます。箱の中には少量の放射性物質と、その検出器、さらに青酸ガスの発生装置が入っています。

放射性物質は一時間に50%の確率で原子崩壊し、崩壊した場合には青酸ガスが発生して猫は死にます。

逆に、崩壊しなければ、猫は死にません。果たして、猫は一時間後に生きているでしょうか。

 

この実験において、観測者が蓋を開けて箱の中身を確認する前に既に猫の生死は決定しているはずです。しかし、確率解釈が正しいとすれば、観測者が箱を開けるまで猫の生死は決定しておらず、

箱を開けた瞬間に生死が決まるということになります。

つまり、箱の中は、観測者に開けられるまでは、生きている猫と死んでいる猫の状態が重ねあって存在していると解釈しなければいけなくなります。

シュレディンガーの猫のわかりやすい動画

 

シュレディンガーは、このようにミクロのものをマクロに置き換えたら矛盾が生ずることから、もともとの確率解釈が誤っていることを導こうとしましたが、

多くの人が取り組んでいるにもかかわらず、今でもこの矛盾を明らかに説明した人はいないそうです。

 

しかし、こんなに奇妙にもかかわらず、量子力学の理論に基づいて作られているさまざまのもの ー半導体・DVD・デジカメ・スマホ…-は私たちの生活に欠かせないものになっています。

超電動モーターや量子コンピュータなど、今後もますます量子力学に基づく先端技術が身近なものになることでしょう。

ブラックボックスなのに有意義に使えているなんて、まるで生き物みたいですね。。。

 

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観測されると振る舞いが変わり、生死も決まる

ここからはワタシの拡大解釈で書かせていただきますね、と前置き。

 

物理学という式であらわされる学問でも、現象として表れると理解できないことがあるのなら、

私たち人間も巨大な空間から見れば、大きなルールの中で一個一個のの電子のような振る舞いをしているのかもしれません。

 

観測されると振る舞いが変わる、のは、複数の人がいたら必ず起きますよね。

特に相手が自分の子どもだったら、相手が自分の親だったら、

確実に振る舞いが変わります。

そして、

多くの場合、お互いに気持ちよく過ごすために、一人の時より気を遣います。

 

逆に、観測されていないと、目的もなく、波のようにゆらゆら…着いたところが目的地みたいな人生もあるかも…

 

と、同時に、私たちがシュレディンガーの猫だったら、たくさんの回数観測されることで、

観測された側は、(生死の代わりに)起きているでもなく寝ているでもない、という状態から、

起きているか寝ているかのどちらかの行動を明確にできるようになる、

と解釈できます。

 

もし、見られることが前提で、そこに電子が存在しているのなら、見てあげないとね。

同様に、見られることを期待して、子どもがそこにいるのなら、子どものことも見てあげないとね。

 

なんてこじつけて、子どもに対して目を配る&気を配るようにしてきました。

目を配っているだけで、見られている子どもの振る舞いが変わるかもしれないじゃないですか。

 

もちろん、ワタシ自身も、専業主婦とはいえ、ある程度見られていた方がいいなという自覚は持っていました。一応…。

 

と同時に、たまーにできる自分だけの時間を手に入れた時は、

(自分を観測する人がいないので)

珠玉の、”起きているでもない、寝ているでもない” ぽやーんとした時間を過ごすようにしていたわけですけどね。

結構感度が高い方なので、オンオフの切り替えは早かったかも。

ワタシはどんな波に乗っていたんだろう…?

 

皆さまも、たまには電子になりきって、”量子力学的に” 上手に観測されたりされなかったりしてくださいね。

 

これ以上調子に乗ったら、量子力学の研究者さん方に叱られそうだから、悪乗りもこの辺に。

今回もお読み下さり、ありがとうございました。

  

息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。どうぞ、にたろう もご覧ください。

 

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