「やりたいから、やる」なんて、どこかのアヤしい企業のキャッチコピーみたいですけど…
実際、小学校受験なんて、親、いえ、我が家の場合は、
ワタシがやりたいからやっただけで、
子どもが、小学校受験させて!と頼んできたわけではありませんし、
夫には、公立小学校出身者だからか、反対はされませんでしたが、積極的に賛成もされませんでした。
母親であるワタシが、
やりたかったから、やった
だけです。
それを批判する勢力も必ずあって、
子どもがかわいそう、とか、
結局、自分のためじゃないの?とか…
上手くいくときはいいですけど、人生上手くいかないことも多々あるので、
結局どうすればよかったの?と思い悩んだり、
やりたくてやったんだから、大変だったけれど悔いはない、と思おう、とか、
一緒についてきてくれてありがとう、巻き込んでごめんね、とか
でも、これからどうすればいいのかな…
などと思っては、立ち止まったりします。
よかれと思ってやったことでも、上手く伝わらないことなんて親子の間でも多々あります。
この、”よかれ”が曲者なわけですけどね。
それも、わかっているのだけど。。。
そうやって世間様は、容赦なくワタシの本気度を試してきました…。
やりたいのは親なのに
自分のことじゃないのに、小学校受験なんて、そこまで一生懸命になれないよ、という人もいらっしゃるでしょう。
いや、子どもには、自分が歩んだ道を、あるいは、自分が歩めなかった道を、歩ませてみたいから、と思って受験を考える人もいるでしょう。
いろんな考え方があっていいと思うんですけど、一つだけダメなのがあって、
自分のプライドのためにお受験させる
というパターン。
うちの子、**小学校に通ってるんです、を自分の誇りとか目標にしちゃうと、
同じ、”小学校受験をやりたいからやった”くくりとしても、ダメです。
あくまで、受験するのは本人ですからね。
子どもの受験はあくまで子どもの受験。
だから、難しいんですけどね。
挑戦することを決めるのは親ですし、そのための準備や働きかけをするのも親ですけど、
その結果までも含めると、上手くいったら子どもの努力、上手くいかなかったら親のせい、って、
100%言えるかというと、なかなか言い切れないこともあって…
でも、やはり、
子どものことを考えると、結果まで含めて、親は責任者でいなければいけません。
子どもの小学校受験なんてやる意味があるかどうか本当はわからなかったし、
親として、前を歩いて照らすのも、難しい。
って、思う自分もいました。
抽選で漏れたら…それも仕方ないです。そしてそれは、本当は、誰の責任でもないんですけど、
”ママが言うから頑張ったのに、落ちちゃった”となったら、
たぶんそれは、一生子どもの心に残るので、
小学校受験をしましょう、と言い出した人は、お子さんの心から消えるまで、ずっと寄り添ってあげないといけません。
そんな未来に遭遇しても、受験なんかしなきゃよかったと決して思わない自分を描くこと、親子でそれからも明るく寄り添って生きていく覚悟だけは必要です。
チャレンジすることに意味を見出す
まぁ、実際は、そこまで覚悟ができていたかというと、
ちょっと微妙、勢いで、なし崩し的に始めてしまった部分も大いにあります。
でも、どこかで、そういう未来もあることの想定もしつつ、当時は過ごしていました。
小学校~中学校~高校受験というと、基本的にやり直しはできませんし、しません。
かつ、本来”やらなくてもいいイベント”に子どもを巻き込んで首を突っ込むわけですから、
せめて、楽しくないと!
とにかく楽しくやりました。親が不安な顔をしていると、子どもにわかりますから。
受験は楽しいイベント。新しいイベント。
そう、チャレンジすること自体に意味があると割り切ってやってました。
大人だって褒められたい
大人になって、あるいは、親になってある程度経って気づいたんですけど、
日本人って、褒めるのが下手じゃないですか?
っていうか、他人様のことをほとんど褒めないし、褒められ慣れていないから、何かの拍子に褒められると、裏があるんじゃないかってかえって疑ってしまいます。
でも、小学校受験に限らず、日々の仕事や、家事や、親戚づきあいや、子育てにおいて、
皆さま、
もっと褒められたいですよね~
自分を知ってくれている身近な人に。本当は…
褒めて育てるっていいますけど、自分も褒められて成長したい。。。甘えかもしれないけれど。。。
だから、この場で言ってしまいますが、お子さんのことを考えて、自分を後回しにしてお母さんをやっていらっしゃる皆さま、本当に偉いです!
と、当時、なかなか言ってもらえなかったので、ワタシは
意識して、自分を褒めるようにしていました。
やっぱり、子どもの受験というのは、どの受験もストレスなのでね…
真剣度が上がると、想定外の嫌なこともいろいろありますけど、、
それでも、やりたいからやっている、だから楽しもう、を心の中で確認するようにしていました。
模擬試験もない、判定もない、過去問はあるけれど、本当にそれが正しいかどうかもわからない。
でも、試験の時期は決まっていて、そこに向けて何らかの準備はしないといけない。
本当に、混沌としていましたが、頑張りました。
今も変わらない
と、いいましても、実は今も混沌としていまして…、子どもはもう成人しているので、
混沌の深さも奥行きも、色も、視界も、全然違うわけですが、
親としてという側面以外に、人間としてという側面でも子どもたちから評価されるので、
それもまた、きついです。
親子関係も、とっくに真上から目線は卒業して、それどころか、悠長に斜め上から眺めるのも危うくなっています。
日々は相変わらず、学びです。
世の中、いくらその時に考えても仕方のないことだらけで、
とにかくそこまで、行って、体験して、見てこよう。
その繰り返しです。
立ち止まっても、いっか。
なんだか堂々巡りを始めてしまいましたね…
やると決めて、やる。やりたいと思って、やる。誰かのためではなく。
今日もまた、ぐらぐらしそうになる自分を、どこかで収めたり、治めたり、修めたりしながら過ごす毎日です。
息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください。
コメント