二人の子を国立大医学部医学科と東京大学に合格させるまで | feel my force

姉と弟

にたろう

この、にたろうブログは、息子が東大入学をしたところから、さかのぼる形で始まっていまして、

ワタシ自身が読み返しても、

息子の子育てに関しては、比較的大きな問題なくできて、紆余曲折もそんなにないストーリーが綴られているわけですが、、、

 

これは、ワタシにとって

あくまで 二人目 の子育て

でして、

 

上の子での経験があった上での、息子の子育てストーリーです。

ですから、下の子を育てる時は、 上の子で良かったことは同じように 、そうでないことは軌道修正もいろいろしました。

        

って書いちゃうと、上の子が誤解するので、そうは書きませんけどね。。。

(いや、今、書いちゃってますね…)

 

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姉と弟

上の子と下の子とは3学年違いです。

 

上は女の子ですから、基本的に 花よ蝶よで育ちました。性格はおとなしく、慎重で、正義の人で、素直でまじめです。

基本的に”いや”の少ない人 で、かつ ”いや” を、はっきり意思表示してくれるので、

彼女が進む道は、基本的に親がちょっと先を照らして、誘導して 安全に歩けるようにしてきました。

 

下は男の子で、元気いっぱいですし、二人目の我が子ですので、ワタシとしても、他人様に迷惑にならない範囲で、娘より距離感を持って、泳がせつつ 見守りつつ育てることができました。

   

息子にとってのお手本は、いつも、姉である娘。

娘がワタシに叱られるのをみて、息子は行動を変えていたと思いますし、

娘の通る道を、親の庇護と姉の庇護をもらいながら、無難に過ごしていたと思います。

 

娘から見て、息子ばかり得をしている、とか、息子から見て、娘ばかり優遇されていると映らないよう程度に育てたつもりですが、、、

また、

性格も違いますし、女の子と男の子では違いも大きくあるので、それぞれに合った子育てをしたつもりですが、、、

   

いかんせん、娘の初めての経験はすべて、親の立場のワタシにとっても初めてなわけで、

正直、ワタシの見立て違いもありまして。。。

 

それでも高校受験&入学までは二人とも同じように育ち、上の子が通った道を下の子がトレースするように歩んだのですが、

娘の高校時代は、

ワタシの観察力や情報収集、スケジューリングの正確性が足りなかったため、彼女の受験勉強を迷走させてしまった部分がありました。

 

高校入学から間もなく、医学部志望とした娘。

 

国立大学医学部というのは、駿台の偏差値で上は78、そこから10ポイント以上の幅があります。

そのどこかに行ければいいや、とワタシも娘も思ってしまったため、

また、高校1~2年生で受験する模試の、地帝医学部ですんなりA判定を取ってしまったため、

このままの勉強スタイルで行けば、”どこかに行けるだろう”と思ってしまったわけですね。

そこで安易に、努力目標として東大理三を掲げてしまいました。

  

東大理三を目指しておけば、最終的に下げていけばいい、と。

しかし本来は、どこか、ではなく、ターゲットをきちんと絞って勉強させなければいけませんでした。

 

娘が高3になり、夏の東大実戦を受けた時、初めての生徒さんなら誰もが味わうレベルで、難問題にノックアウトされました。実際は、同時期の息子が取ってきた点数とすごく違っていたわけではありませんが、

できなかったという彼女のショックが大きく、第一志望から東大を外すことになりました。

 

高3の秋。

改めてどこを志望するかについて、家族内で意見が分かれました。

 

東大を射程に入れて勉強してきた分、志望を下げればどこかに届くというのはありがたいことでしたが、

安全圏まで落とさなくてもいいのではないか、せめてチャレンジしよう、浪人してもいいから、と勧めるワタシ、

浪人は絶対したくない、必ず合格して、早く次のステップに進みたい、という娘。

 

ここは、娘の気持ちを尊重するのが一番ということになり、

最後は絶対合格できる地元の国医の推薦をとって、進学しました。

 

志望を新しく決めた当時、まだ合格はしていないとはいえ、娘はほっとしたのでしょう。

 

そこからどんなことが起きたかといいますと…

 

彼女の校内順位が少しずつ下がっていったのです。

下がったというより、周囲の(第一志望を下げない)人たちが、どんどん上げていったといいますか、、

 

正確には、本人も上げているのに、周囲はもっと上がっていく、という表現が正しいかな。。。

 

そして彼らは、センター試験も、センター試験後も上げに上げて、第一志望に合格していきました。

その中には、娘がかつて第一志望としていた東大理三の人もいました。

 

高3の初めに、まだそんなに差がついていなかった同級生の友達が、

「センター試験後も上がる、二次試験の前日まで上がるから、自分を信じて合格を目指せ」という高校の先生方のアドバイスをそのまま受け取り、信じて勉強し、合格していく姿を、

目の当たりにしました。

 

もちろん彼らはみんな、もともとのポテンシャルも高く、さらにそれまでの不断の努力があってこそのことです。

それでも、すぐそばで、一緒に勉強してきた身近な友人が第一志望の大学に合格していったのを見て、

 

ワタシも娘も、

諦めるのが早すぎたことに気づきました。

 

もちろん、この判断は結果的に良かったと判断する向きもあります。

娘と息子、二度の大学受験を経てみると、娘のような道をたどった人は結構いらっしゃいますし、医学部は定員が少ないので、下げたからと言って絶対合格するともいえない現実もあります。

 

ただ、当時のワタシ達に不足していたのは、受験に対する心の準備とか、覚悟でした。

  

そうなんです。

ワタシは、娘が高校生になった時に、彼女の少し先の青写真を具体的に描けていませんでしたし、娘もそれを持っていなかったのです。

 

本人あるいは親が青写真を持って高校時代を過ごすことができるかどうかで、大学受験の結果が変わってくることも、あまりわかっていませんでした。

 

息子で、もう一度高校3年間を過ごす

そんな事情や展開をそばで見ていた高校入学直後の息子と、

大学受験をするための戦略が一通りわかったワタシ。

 

娘と入れ替わりで高校生になった息子は  

早くから東大志望とし、

東大を受けること以外は考えな(くてい)い3年間を過ごせるようにしました。

東大の入試問題の特徴や、それに向けてどんな学習方法を身につければいいかも、早い段階で息子に触れさせるようにしました。

 

センター試験後に焦ることなく、淡々と勉強させることができたのも、そこからの伸びを知っていたからです。

 

これは、娘の経験で得た青写真があったからできたこと。あなたのおかげだよ。

 

現在、娘は志望を下げたことをちょっとだけ残念に思っているようです。

 

でも、幸い、といいますか、

医師という職業は、もちろん出身大学は大切ですが、それよりも医師としてのスキルや人間性の方が大きく問われることを、その後見聞きすることとなり、

 

娘は、 医師としてどんな人間になりたいか具体的な青写真を描き、今は前だけを向いて過ごしています。

 

自分を信じて進む人は、迷いがないので強いです。

そしてそれは、時期の早い遅いはなく、自分の進む道を決めた時から始まります。

 

今だから書けることですが、娘にとって、ワタシにとって、あの時の道も通らなければいけない道だったのだろうと思っています。

 


  

このように、

我が家にとっての大学受験は、トライアンドエラーの連続

でした

が、、、

     

賢いご家庭なら、最初のお子様からできること。

    

我が家の経験が、皆さまのお役に立てたらうれしいです。  

 

娘の成長の記録は、時計通りに綴っています。 どうぞ いちひめ もご覧ください。

 

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