二人の子を国立大医学部医学科と東京大学に合格させるまで | feel my force

ほめて育てる?

いちひめ

ありがたいことに、始めてわずかしか経っていないこのブログに、励ましのメッセージやご質問をいただきます。

本当にほんとうにありがとうございます。

 

ほめて育てる、についてのワタシの意見を求めていただいたので、今回のテーマはこれ。

 

結論から書かせていただくと、間違ってはいないけれど、

ほめて育てる、という言葉が誤解を生みやすい!

これにつきるんじゃないかと思っています。

 

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人は自己承認欲求が満たされると頑張れる

ほめて育てる、っていうと、

なんでもかんでも褒めればいいってものじゃない

になるし、

でも、

褒めることも必要

にもなります。

 

当時のワタシ、子育ては、ほめて育てるなんて甘っちょろいもんじゃない!って真剣に思っていたし、

今注意しなくて、いつ注意するの?このまま大きくなったら本人が恥をかくよっ、

というタイプの母親でした。

要するに、注意することの方が圧倒的に多かったんです。

だから、

ワタシのような へそまがりの  とりあえず否定してみる タイプのお母さんに、ほめて育てる、は言葉としてわかりにくいんです。

 

でもこれを、

 

「子ども本人が、よくできたね・すごいね、と言って欲しいタイミング」に

親の方が、これはすごいね!と心から思う気持ちを、言葉で伝えること

ができたら、

親が褒めたことが、子どもが頑張る気持ちを増幅させるから、より成長するよ

 

という意味であると解釈したら、

納得がいきました。

 

そしてこれは、子どもに限らず、大人でも、じゃありませんか?

あれもこれも、きっついなー、と思うことばかりの時に、

ぽっと、自分の親に

よくやっててすごいねー

と、言ってもらうとか、

 

普段、ほとんど他人を褒めることのない友人に、

それすごいじゃん!

って言ってもらうと、あの、誰のことも褒めない彼女が褒めてくれた―!という気持ちで自信を持てた

みたいなこと、ありませんか?

 

ヒトには自己承認欲求があります。

他人に認められたい。

認められてうれしかったから、何か役に立ちたい。

ある程度でいいんです。いえ、ちょっとでいいんです。

ただ、この人には認めてもらいたい、という人から、認められる言葉をもらうと前向きになるんですよねー、不思議と。

 

一番近くで、生まれた時から、無制限に、自分を認めてくれる存在が、

親です。

大人になっても、です。

もっと時が進んで親が天国へ行ってしまっても、ふと親に語りかけていたり、こうすれば喜んでもらえるかなぁ、などと考えている…

そのくらい、親という存在は、子どもにとって唯一の甘える相手であり、認めてほしい存在、

ですよね、本来。

 

だから、親は、本人がほめてもらいたいと思うタイミングで、我が子をほめることが大切

なのだと思います。

 

子どもを見ているとわかりますよね。

今ここは、褒めて欲しいんだなっていう時。

 

小さい時は、親と子の関係の中でよく生まれる、すごいね!

例えば、昨日はできなかったことが今日できた、みたいな。

 

ちょっと大きくなると、学校などの外で褒められたことや、我慢したことについて話してくれたとき、が追加され…

 

上級編になると、

何も言わないけれど、きっとこれをすごく頑張ってるな、ということを察して褒める、なんていうのを

たまに挟み込めると超効果的ですよねー。

 

内容もさることながら、タイミングが大事。

一番いいタイミングで褒めてもらった言葉は、一生ココロに残りますからね。

 

言って欲しいタイミングも内容も、子どもの成長に合わせて変わっていくので、難しく考えると難しいですが、

多少、的外れなほめ言葉とか、回数でカバー、とかでも、子どもによってはあり。

親には下心がないので、当たらずとも遠からずなら、歯の浮くような台詞でも。

(この作戦、息子には通じませんが、娘には通じました !(^^)!)

 

もっと早く気づいていれば、と思う

このことを、当時からもっと明確に気づいていたらなぁ~、イライラしないでもっと穏やかに子育てを出来ていたのになぁ…

 

と、しみじみ思っています。

実際は、 

ほめて育てる に違和感バリバリだったワタシが、本人の自己承認欲求を満たす言葉がけをする、に置き換えて対応できるようになるまでにはずいぶん時間がかかりました。

 

子どもがある程度大きくなるまでは、真上から目線で接していたので。

泣き出した時の本人の気持ち・ぐずりだした時の本人の気持ち・喜んでいる時の本人の気持ち…

どれも、

子どもっぽーい、

で済ませていたので。

 

今ごろ気づく、

子どもっぽい時代にだけ通じる自己承認欲求の珠玉対応もあったはずだよなぁ、と。 

 

以前メディアで、林修先生が、

「小さいころ、おばあちゃんに ”修は天才だねー” としょっちゅう言われて育った、これが自分の自信の原点だ」

という内容のことをおっしゃっていました。

 

これを、「修は天才だ」という言葉ではなく、幼い林先生が、自分のおばあちゃんに言ってもらいたいことを言ってもらった、ということだと解釈すると、

このおばあちゃん、やるなぁ!ってことになるし、林先生ラッキーな子ども時代を過ごしたのね、になりますよね。

 

子どもっぽい時代も、大人になってからも、相手が他人でも、

ココ!というタイミングで、相手の心が前向きになる言葉を言ってあげられたら、

それはもはや、言う側である自分自身の成長にもなりますよね。

 

なんて、考える余裕、当時はありませんでしたし、

当時のワタシにそう言われても、意味がわかりません、ってお返事していたかも。

 

ですが、、、やはり、

今後、もっともっと家事や仕事上にかかる時間がAI化によって短縮されたら、お母さまは、自分のお子さんだけの”年代別珠玉の言葉集”を、お子さんと一緒に作っていって欲しいな、と思います。

 

母親になるということは、

究極の人間関係を親の立場で学ぶこと。

返してもらう期待をせず、あげることだけを続けて、かつ、朗らかでいること。

 

そんな覚悟など微塵もなく親を始めちゃってた、、、

ワタシはたぶん、子どもに見せた怒り顔が、よそ様のお宅より多いような気がするので、

大反省しています。

(と同時に、それでも、”ママ大好き” と言い続けてくれた子どもたちに感謝)

 

要するにワタシも当時、へとへとの時・もやもやしていた時に、よくがんばってるねと、もっと言ってもらいたかったんですね。

大人になると(こんなことわざわざ言ったら失礼かなという遠慮も込みで)親からも他人からも、なかなか褒めてもらえなくなりますが、

我が子達には、今まで足りなかった分も含め、”珠玉の言葉” を探しながらこれからも言っていこうと、改めて思いました。

       

ほめて育てる、特別編

さて、ここまでは主に、子どもが褒めてほしいことをタイミングよく褒める、

というスタンスでしたが、

 

子どもと接していると、

「え?その能力なに?ワタシもってないんだけど。」

みたいな、

お子さん本人も気づいていない、当たり前にできるから、褒めてもらいたいとも意識していないような、

でもすごい!

といえることを自分の子どもがやって見せてくれる場面に、

たまーに遭遇します。

 

よく、赤ちゃんや小さい時には持っているがだんだん失っていく能力、のような類です。たとえば、こちら

→ 生後1か月の乳児は、世界中の言語の音を聞き分ける能力を持っている 。

 

我が子の場合でいうと、この20数年間で、一人につき、2~3回。

本人からの申告がないので、ワタシが勝手に見つけて、

勝手にすごいねって言い続けるようにした、というだけですが。

 

そういう才能に出会ったら、そのときは、本人が気づいていなくても、”褒めて”あげてくださいね。

親にとっても、ワクワクの掘り出しものですから!

 

お母さん業は24時間体制。年中無休、生きている間ずっと。

皆さまよく頑張ってますよね。

まずは、皆さま、御自分のことをたっぷりと褒めてあげてください。あなたは本当にすごい存在です。

そして、お子さんのこともたっぷりと褒めてあげてください

 

今回もお読みくださり、どうもありがとうございました。

 

    

息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください。

 

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