高2の3学期のことを、
高3の0学期、と、言うそうです。
なんか、のせられてる感じがするし、煽られてるようにも思えて、
あまり好きな表現ではないけれど。
高2の3月
高2の3月というと、学校の定期テストも終わっていますし、高校入試関連でお休みも多く、
なによりも、1年上の先輩方の大学入試の結果が出そろって、
何かとざわざわした1か月です。
大学に合格された先輩方が学校に報告に来られたり、合格体験のお話を伺う時間があったり…
おそらく、先輩の放つキラキラした光が、下級生たちの胸に、優しく鋭く刺さったことでしょう。
息子は当時、
「とうとう、次の入試は自分が受ける番になってしまった。」
と何度も言っていました。
今思うと、彼を取り巻く空気感がどんどん変わっていった時期です。
エメラルドグリーンから、藍色へ。
浅瀬が拡がる穏やかな沖縄の海から、太平洋の深い海へ。
深さも色も違うけれど、手ですくってみると、あれ?同じ透明じゃん、っていう。
高2駿台レベル模試
2月に受験した駿台東大レベル模試の結果も返ってきました。
(*現在は、第3回駿台全国模試と名称が変わっています)
この試験の結果がそれまでの息子史上、一番良い結果でして…(親はうれしい)。
冊子掲載があったら名前が載ってたね!レベルだったので(現在は冠模試のみです)。
駿台模試といえば、高校生が受ける模試の中では難しい方の模試ですが、
特に、高2東大レベル模試(現在は、第3回駿台全国模試)からぐんと難易度が上がり、
高3の駿台模試も(東大実戦ほどではないけれど)、旧帝・国医受験を意識した難しさです。
それまでの(高1からの)駿台模試と同じように考えていると、足元をすくわれるのでどうかご注意ください。
なぜこんなことを書くかといいますと、
何にも知らなかった娘の時、高2の最後に受けるいつもの駿台模試だと思っていて、痛い目に遭ったからですね。
体感、同じ順位をとるのに、それまでの駿台模試と比べて50点(東大レベル模試の方が低い)くらい差がある感じです。
上述の海に例えさせてもらうと、まだ浅瀬にいるのに、そこだけ深かった、みたいな感じ。
深みに驚いてとりあえず浅瀬に戻ってくるか、深いことを予め知っていて、そこをきっかけに大海原へ出ていくかの違いもありますね。
その差の意外と大きいことが、お伝えできたでしょうか?
そういう経験もあり、息子には、この模試で通用するよう勉強させてきました。
また、高2で英数国をある程度仕上げる、という目標も立てていたので、
この模試で確認をする、という位置づけでもあり…
娘の時の問題も残してあったので、引っ張り出してきて目を通すように言いました。
気合い入ってますよね(ワタシが)。
はい、そのくらい重要視してました。
ちなみに春休みには、高2駿台全国マーク模試、という、受験者数が2万人強のマーク模試も勧められて受けました。
母数も少ないし、難易度も高2生向けに調整してある?かもしれなくて、
得点は747点でした(ん?ちょっと良すぎる?)。
高3の5月に受けた全統マーク模試が750点だったことを勘案すると、この747点という数字をあてにできるかどうか微妙ですが、
これから始まる怒涛のマーク模試への心の準備という意味では、受けてよかったと思っています。
残してあった娘が受けた模試の問題が役に立ったのも、高2まででした。
もちろん残してあったんですよ、高3の分も。
マーク模試の理科や社会は分厚いのですごく場所をとるんですけど、ちゃんととっておいたんです。
でも、高3は試験が多すぎて、目を通したのは東大冠模試の問題くらい、他に目を通す暇はありませんでした。
高3になったら、それまでのように自由に時間を使って、やりたい勉強をすることはできない。
やらなきゃいけない科目に時間を割いて、点の取れる勉強法にシフトしていかないといけない。
娘の時は、そこまで明確にわかっていませんでした。
とりあえず、高2終了時点である程度結果が出せたことは、息子にとって高3につながる大きな自信になりました。
はすちゃんがにたろう君の勉強にこんな風に口出ししてたのって、この頃までだったね。
そうなの。彼が高3になってからは、自分で考えて、勉強をやるようになっていったから、どんどん出番がなくなっちゃった。
よく覚えてるでしょ
ほんと!そんなこと、すっかり忘れてた
我が子達の学校では、新しい学年のクラス編成が3月の終わりに発表されます。
○○くんや☆☆くんと一緒だったー!と喜んでました。
いよいよ受験生本番。
高校3年が始まります。
娘の成長の記録は、時計回りに綴っています。 どうぞ いちひめ もご覧ください。
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