ごめんなさい、ちょっと吠えタイトルにしてしまいました。
今回の話は、カテゴリーは「にたろう」で書かせていただきますが、ワタクシと姉との話です。
ちょうどにたろうが中学生後半時代に起こったことでして、時期があっているというだけで、にたろうは登場しません。ご了承ください。
説明おわり。
ワタシと姉
ワタシと姉は、両親が亡くなるという家族の大きな危機のときにトラブってしまいました。
(事の流れはこちらでも書いています)
ワタクシは二人姉妹の下で、姉とは年齢が離れていまして、ワタクシが中学に入学したときに姉は県外の大学へ進学しましたので、
一緒に遊んだ~、とか、かわいがってもらった~、みたいな思い出はあまりありません。ただ姉は、美人系・勉強ができる・人気者でしたので、尊敬する人でした…
けれど…
姉は、親とは折り合いがそんなに良くなく、特に結婚してからは親に対して徐々に攻撃的になっていったと思います。
親は、姉夫婦に対して腫れものに触るような態度で、ワタシはそこに入らなくていいという親の意向もあり距離を置いていたのですが、
ワタシの息子が中学2年生の秋に、父が亡くなったことをきっかけに姉とワタシとの大きめの接点ができ、ワタシに対しても攻撃的な言葉を発するようになりました。
親のこと、お金のこと、相続のことなど、話し合わないといけないことが出てくるたびに、姉はワタシに対して支離滅裂な主張を一方的に繰り返し、その暴言っぷりにワタシは病みそうになりました。
二人で決めたことについて、姉の夫が介入し翌日にひっくり返されたこともしばしば。
わかってましたよ、姉一人が相手なら正直ちょろい。でも姉の夫は自分の主張も込めたい人だからまとまらない。でも、ワタシの交渉相手はあくまでも姉だから。
入院中の母の主治医の先生からも「お姉さんとは話が全くかみ合わないので、あなたが窓口になってほしい」と半ギレ状態で電話がかかってきたこともありました。
息子が中学3年生になって間もなく母が亡くなり、初秋までゴタゴタが続きました。
このとき、我が家は娘高3・息子中3というダブル受験生を抱えている大変重要な時期でもあり、
どうして重なる⁉
ワタシとしては、姉夫婦の態度が腹立たしいこと極まりないものの、とにかく接点を減らす⇒無くすことを第一の優先順位とし、
親のことも相続のことも、ほぼ姉夫婦の主張どおりとし、姉がやりたくないことは全部ワタシがやって、
ようやく姉からの攻撃は終わりました。
同時に、ワタシは姉と連絡を取り合うことを一切やめました。
年賀状もやめました
ひとこと付け加えますと、夫も我が子たちも、めちゃくちゃ心の支えになってくれました。
あなたたちがワタシの家族でいてくれてありがとう。このときの家族への感謝は一生ものです
姉の思い
100%姉の立場に立って表現すると、姉の人生はこんな感じです
高校教師の父と中学教師の母との間に生まれた長女。父親は田舎の地主の家の生まれで、後継ぎ息子でしたので、わざわざ旧帝大に進学したにもかかわらず、地元に戻って教師をすることを余儀なくされました。
父親は後継ぎとして地元に戻ってきたのに男の子に恵まれないので、母に対し男の子を生まないのは罪だというようなことをよく言っていましたが、二人目は流産、次に生まれたのも女の子でした。
長女に家を継いでほしい。また、親が教師という職業柄、大変教育熱心で、いつも良い成績を取ることを求められていて、長女はそれに応えて頑張っていました。
母も熱心に勉強を教えましたし、父と長女との間に入って家族がうまくいくよう盛り立ててくれました。
中学のときの成績も上位で、当然県内の公立トップ高に進学する気持ちでいましたが、受験校を決めるときになって、父親はトップ高ではなく二番手高を受験するよう勧めました。理由は、父親がその二番手高に長年勤め、管理職になっていたからです。
当時、この地域はトップ高と二番手高が大学進学実績で争っており、二番手高としては大学進学実績を上げそうな成績上位の中学生を取りたかったのです。父親が長女に来てもらいたい気持ちと、長女のトップ高に行きたい気持ちは、当然ぶつかりました。
話し合いをし、ぶつかり、話し合いをして、結局長女が折れて二番手高に進学しました。このときの残念な思いが以後40年経っても消えていません。
ちなみに、父親はその後順調に昇進して、最後は長女が行きたかったトップ高の校長を務めました。
大学は県外に進学し、大学院の修士課程卒業と同時に結婚しました。就職はしていません。相手は大学の博士課程の学生さんで、アルバイト生活者でした。次男だったので両親は姓を変えてもらえないかと頼みましたが、不動産などそれ相当の財産の名義をすぐに自分に変えることを条件提示され(さすがにそれはできない)、姉は先方の姓になりました。
実家に対する嫌味を夫から言われながら過ごす結婚生活、そのうち実家とも疎遠になりました。
両親の死後、財産は姉夫婦のものになりましたが、もちろん姓を変えることはありません。今さら変えてもらう必要もないですけどね(怒)

((あーやばい、吠えちゃってる…))
ワタシの立ち位置
姉とワタシとは年齢が離れていたというのもありますし、両親の待望の第二子が女の子で、父親はがっかり感しかなかったでしょうから、放っておかれるのは必然でした。
父が母に「なんで男の子が生まれないんだ?」と言っていたのは覚えています
そういう空気を全部感じ取っていたら、とてもやっていけなかったと思うのですが、
期待されないことのなんと気楽なことか…
同じ成績をとっても、姉は叱られ、ワタシは何も言われなかったので、期待感が全然違っていたことも今ならわかります。
姉からすれば面白くないでしょう。。。
母にはかわいがってもらったと感謝しています。
親ガチャ外れ?
さて、ここからが本題です。姉の言い分は…

((はすちゃん、吠えるのはほどほどにしてよ))
当時すでに50歳を過ぎていた姉が、父が亡くなった後、40年前の悔しい思いを昨日のことのように話しはじめ、まだトンネルから抜けていないことが伝わってきました。
プライドの高い人ですからそんな話をしはじめた時点でもっと注意すべきだったのに、耳を傾けてしまったワタシ…
「親のせいで、自分の人生を台無しにされた」
ワタシだって一緒に住んで一緒に育ったのですから、姉の話に尾ひれがついているのは明らかでしたよ。
「私の気持ちがわかるわけがない」
とも言っていました。
ほんと、そこまでじゃないですよ。本人の思い込みすぎです。常に叱られていたわけじゃない、体罰があったわけじゃない、行きたい大学に行かせてもらった、学費も生活費も修士卒業まで全部出してもらった…たぶん、高校のことだけですよ。でも抜けられていない…
そして、
「私は、親に18歳までしか面倒を見てもらっていないから、親の面倒は見ない。」
開いた口がふさがりません
もう一つの問題が、結婚後は姉一人だけでなく、姉の夫がまるでたきつけるかのように姉の後ろでいろいろ言い始めたことです。
姉に対して「お前はおかしい、お前の両親はおかしい」と言い続けていて、離婚を考えたときもあったけれど、結局その覚悟ができなかったと後で母からききました。
それ、モラハラじゃん、離婚案件じゃん
姉は、自分の人生において、子ども時代は不満、結婚してからも不満。今の不幸は自分以外の人のせいであるとずっと思っていたようです。
そして、夫から言われ続けた攻撃的な言葉を、いつのまにか他人に言う人間になっていました。
言いたい放題の上に、私の気持ちがわかるわけないですと?
じゃあ、言いましょう。
「はい、あなたの気持ちはわかりません。」
察することはできるけど
でも、このままずっと同じ思いで一生生きていくんですか?
大概にしてよっ
ってことですよ。
親ガチャはずれじゃないよ。あなたには、不満を断ち切る行動をするチャンスがたくさん来たのに、あと一歩を踏み出さなかった。その道を選ばないで、不満ばかり言っている。
それ、みっともないよ
ワタシに対する暴言もなんですけど、それを母の主治医の先生、母の友人から遠い親戚にまでやりだしたことが回りまわってワタシの耳に入り、ワタシが代わりにあちこちに謝罪しました。これもけっこうきつかったです(怒2回目)
人は親を選んで生まれ、予定通りに生きる
ここからは、人は肉体が死んでも魂は生きている、みたいな話になるので、そっち系がお嫌いな方はご注意ください。
このブログでは何度か「人は親を選んで生まれてくる」と書かせていただいてきました。
この話にはもうちょっと詳しい解説があって、
自分の人生設計図に合った親や環境を選ぶのだそうです。
そしてその人生設計図は、自分自身の魂が成長すること・過去の因果を回収することが軸となっています。
ところが、この世に生まれるときに人生設計図のことは忘れて生まれてくるので、
それを行動に移せるような前半の人生になるような環境を選ぶのだそうです。
例えば、自由な人生を歩むという設計図の人は前半の人生を不自由に暮らす環境を、
一代で大きな財を成すという設計図の人は、前半の人生で貧しい生活を体験する環境を、と。
そして、このままではいけない、というところまで追い込まれて初めて重い腰をあげて行動し、覚悟を決めて、自分の目標に向かって努力をするようになるのだそうです。
その行動は設計図に沿っているから辛くないし、むしろトントン拍子にうまくいって、
人生成功(課題修了)です。
逆に、それに気づかず、行動もせず、人生を終える人も中にはいるそうです。
もったいないことだけど。
これを姉に当てはめると、姉の人生設計図は、親から不本意な思いを押しつけられ、不本意な子ども時代を過ごし、その結果、親と決別して自分らしく生きるのが目標だったと想像できます。
ところが、親からはうまく離れたが、結婚相手の問題もありその後がうまくいっていないこともすべて親のせいにしている点で、残念な人生になってしまっています。
子どもはいません(お前や両親の遺伝子を持った子どもはいらないと言われた)。やっぱ離婚案件…でも、就職したことがないのがあと一歩踏み出せない原因にもなりました
それで、魂の成長はできた?
できてない
一生親を悪く言うことが、過去の因果の回収になってるの?
なってない。新しい因果を作り出しているだけ
大概にしてよっ(2回目)
一方、父にも「後継ぎ息子は生まれず、その家を”終わらせる”」という人生設計図があったのかもしれません。覚悟が足りないまま母のせいにしたり、娘に過大な期待をして、娘からよく思われないまま亡くなってしまったことは残念なことでした。
もしまた次に生まれてくるとしたら、また、ここをクリアするという課題を持ってくるのかな。
じゃあせめて、まだ生きている姉の方は、どこかの時点で親をゆるし感謝すればいいのにって、思うんですよね~。
聞く耳もたない人ですから、ワタシが言っても通じません。
いろいろ残念。
さて、ここまでは姉と父の人生設計図についてでしたが、
もう一つの疑問があります。それは、ワタシの人生において、
どうしてそんなことが身近で起こってしまったのか、どうしてワタシはそこに巻き込まれなければいけなかったのか
ということでした。
むしろワタシが姉ガチャはずれ?
次回へ続きます。
娘の成長の記録は時計通りに綴っています。どうぞ いちひめ もご覧ください。
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