このブログのワタクシ、自分が読んでも、結構
× うるさい △ 口を出しがちな 〇 子育てに熱心な ・ありがちな
母親なんですけど、
現実の、子どもたちとの距離感でいうと、
自称、極めて優しいお母さんでして(← 自分で言っちゃう)
どのくらい優しいかというと、
- 怒らない
- 口うるさく言わない
- サポートを惜しまない
- (夫より)子ども中心
怒らない、口うるさく言わない、については、生活面学習面で事細かく注意するのは小学生まで、
学習内容に口を出すのは中学まで、として、
高校生になったら、基本的に何も言っていません。普通にご飯を作ったり洗濯をしておくお母さん、でした。
特に下の子である息子には、そういう傾向が強かったです。
子ども中心、については、夫と相談して、そうさせてもらっちゃいました。
ただ、
結構、観察はしてました。
成績も、把握してました。
(それはそれで、結構うざい)
子の心、親は忘れている
そんなある時、朝ごはん中の息子がワタシにちょっとお願いしてもいいかな、と、言い出しました。
(え?なに?)
その内容はといいますと、
朝、一階から大声で、「〇時〇分だから、もう起きなさいっっ、遅刻しちゃうよ」と呼ぶのではなく、そばに来て、普通の声で声をかけてくれないかな、その方が、効果があると思う。
と。
朝と言えば、ワタシは子どもたちより早く起きて、息子のお弁当作りの毎日。お弁当ができて、朝ごはんができて、子どもたちを起こす。
ここまでが首尾よくいけば、ワタシも余裕があるんですが、
たいてい、余裕なんてありません。
そこで、大声で下から子どもたちに声かけをすることに。。。(あと15分早く、が、親も子もできない…)
その朝は、息子が先に起きていて、そばで朝ごはんを食べていまして、
キッチンに立っていたワタシが、起きてこない娘を大きな声で呼んだ時に、上のように言われました。
息子からお願いされることなど、ほぼなかったので、何ごとかと思いましたが、どうも、前々から、大声で起こされるのではなく、ちゃんと部屋まで来て普通の音量で声掛けをしてもらいたいと思っていたのだそう。
それをまた、自分の時に言うのではなく、娘に声掛けしているときにさりげなく言ってくるとか…おぬし、確信犯よのぅ。。。
とはいえ、それまでの17年間、、、具体的にいつ思い始めたかはわかりませんけど、ずっと五月蠅く思ってたわけよね、きっと。
自分としては何とも思っていなかった行為が、我が子に不愉快感を与えている、
と、はっきり自覚したのがこの時でした。
なんでしょうね、、、親の言っていることなんだから、子どもは黙ってききなさい、っていう部分は、子育ての中で多々あるわけですけど、
子どもが育っていくに合わせ、親と子の距離感や、会話の内容をちょっとずつ大人直前のモードにシフトしていかなければいけないのが、この頃でした。
親が完全に養っている、親の完全なサポートも必要、でも、あたかも、自分の24時間を自分で考えて使っていい、的に思わせることも必要で。
親はその強大な影響力で、良くも悪くも、我が子を”洗脳”してきて、その結果が出てき始めるのが、
我が家においては、子どもたちが、高校時代の時だったと思います。
お子さんによっては反発心が高まって発した言葉が、
親の逆鱗に触れて、
「誰のおかげでここまで育ててもらったと思っているのか」
という言葉を親が返してしまうこともあるかもしれません。
(それはまさに、ワタシが子ども時代にやらかしたことでして)
でも、子ども(=当時のワタシ)からすれば、
気がついたらこの家の子に生まれてたし、育ててくださいってお願いする前に、育ててもらってたし、なんなら、こっちだって、いろいろ我慢してきてるよ
くらいの言い分はあるわけで、新たな反発以外の、何も生まれなかったんですよ、あの時は。当時のワタシの場合は…
ですから、親の側になった今、できれば、この会話を現実にはやりたくないんですよね。
子どもの心のこと、親である自分は、通ってきた道なのに、結構忘れちゃってたな、って素直に思う出来事でした。
はい、そうですね、わかりました、そうしましょう。
それからは、朝起きてこない我が家のお嬢ちゃんお坊ちゃんを、二階の部屋まで行って、起こすようにしました。
息子も心なしか、すんなり起きるようになったかも。
おうちバドミントン
次に、サポート面といいますか、、、
送り迎えとかのサポート以外に、
軽い運動の相手を結構やってました。
高校生男子なので、、、体力知力、何をしてもかないませんが、
その中でも、思いつきで始めたら案外楽しくて長続きしたのが、
おうちバドミントンです。
我が家は、二階部分に10畳ほどのホールがありまして、
そこで、バドミントン、いえ、 バドミントンのラケットを使った”羽根つき” の相手を時々していました。
最初は、布団たたきで本人が一人でやってました。
布団たたきを使って、その辺の紙を丸めて何やら遊んでいることは知っていたけれど、、、
「これ、折れちゃったー、ごめんなさい」
と見せに来ました。
え゛゛゛゛っ
確かに華麗に折れている…
たかが、布団たたき、でも、それ…
ALESSY の福袋に入ってた、無駄に高級な布団たたきなのーーーーっ
ワタクシ一時期、ALESSY 大好きな時代がありまして、大枚はたいて福袋を買ったことがあったんです。
ま、確かに、その布団たたきはお目当ての品ではなかったけれど…
(↑ 後で調べたら、定価2000円でした…)
物の扱い方として、やはり間違っています。
ということで、次は、100円ショップのバドミントンセットを買ってきて、二人でやるように。
ところが、
あっという間にシャフトが曲がってしまって…(ま、息子の使ってた方ですけどね)
ここまで来ると、ちょっと楽しくなっちゃって、
高校の体育の授業にも持っていけそうな数千円のラケットを買い、
シャトルも買い、、
と、揃えちゃいまして、もう、やるしかないですよね。
外でもやりかけたものの、、、外と言ってもそこまで広くないし、風は吹くしで、
結局家の中でやることに…
力いっぱいとはいかないものの、ラケットを振り回したい息子。
しかも今度は折れません。
シャトルが次々とワタシを攻撃してきて、まるで、レシーブの特訓を受けているバレーボール部みたいでしたが、、、
(危険…)
そのうちワタシの目も慣れてきて、息子も加減できるようになってきて、
ようやくラリーらしきものができるように…
(助かった)
ワタシも動くのは好きな方なので、結構一緒に楽しんだわけですが、
夕方6時とか、夜10時とかに、、急に、「バドミントンやろう」のお声がかかって、
(えー⁉今から?だるいな…)なタイミングの時もあるわけですよ、、
それでも、
基本的に相手してました。
偉いな、当時のワタシ。
このお家バドミントンが高じて、息子は高3の体育の授業でバドミントンを選択し、
東大1年生の体育でもバドミントンを選択しました。
「2S(東大2年生の春学期)でも、選択で体育を履修して、バドミントンやったよー、楽しかった♪」
と言ってました。
ストレス解消に
こういうのって、娘の時は一切なかったので、やっぱり男の子と女の子の違いなんでしょうかね…
バドミントンのブームの前は、ティッシュの空箱を積み上げて、よく蹴りや突きの練習をしてました。
「何か破りたい気分」
って言い出した時は、じゃあ、後片付けまでがセットね、として、
いらない雑誌を渡したら、
ビリビリに破いて、散らかして、せっせと片付けていました。
(ちょっとだけ手伝いました)
ソフトバレーボールという、当たっても痛くないちょっと大きめのボールで、ゆるふわドッチボールもしましたし、
実家の母手作りの手毬で、キャッチボールも(案外壊れないし、中の鈴がカラカラと涼やか…)
実はこの二階のホール、当初の設計段階では吹き抜けにしたらどうかという提案もいただいたのですが、
結論的には吹き抜けにせず、この、何も置かないエリアで、子どもたちは、ずいぶんいろいろと遊ばせてもらいました。
趣味の音楽も
こんな風に運動系は、ワタシも楽しく相手をしたものの…ですね、、、
家にいて勉強しているときは、常にイヤホンで音楽を聴いていた息子。
たまーに、旬の音楽の話もしてくれるんですけど、
それは大抵、夜の勉強の合間の休憩時間の時なので、
こっちは眠くて朦朧としていて、何度も同じ話をさせちゃったのでしょう、
大学生になって、それもずいぶん経ってから、ワタシが同じように眠そうにしていたら、
「高校生の時、どうして、ボクが面白い話題を出しているのに眠そうにするの?と、最初はがっかりやらイライラやらしていたけれど、途中から、それもありかなって思えるようになって、それも楽しんでた。」
と当時の心境を教えてくれました。
あーーーーーー、ごめんなさい、そうなの。夜10時を過ぎると、ワタシはスイッチが切れて眠くなるの。聴いてたつもりなんだよ、聴いてたはずなんだよ…
気を遣っていたつもりが、がっつり気を遣われていました。
そんな息子、大学生になってからは、帰省した時にいきなり
「将棋をやろう」
と言い出してですね、、、ワタクシ、将棋も弱いんですけど、
息子の方も、私が相手なら負けないと見越して誘ってきているので、
それなりに粘って、相手をするはめに(バドミントンと違って、時間がかかる)。
共同生活なんだから
まだ子どもたちが幼稚園の頃、よく言っていたのが
「共同生活してるんだから、〇〇は守ろう」
という言葉でした。
生きていく上で、とか、人間として、以外に、
同じ屋根の下で一緒に暮らすんだから、これだけは守ろうよ、みたいなジャンルのルールってどのご家庭でもあるじゃないですか。
そこは躾とは分けて、注意するようにしていました。
ま、きっと全然心に届いてないし、単にうるさいお母さんの言葉なだけだったでしょうが、、、
家族だから、親子だから、ではない、共同生活だからお互いにストレスをためない距離感が、我が家には大切でした。
現在、コロナ禍の影響で、新しい”共同生活”の形が生まれています。
子どもたちが大きくなると、家の中でも、いろんな距離感が生まれます。
逃げ込める部屋、集まれる部屋、一人になれる部屋、、、
我が家はもう、ワタシが娘や息子にどうしなさい、という役目は終わっているので、大人が4人、それぞれの役割を意識しながら、
距離を詰めすぎず、詰めなさすぎず、暮らしています。
娘の成長の記録は、時計通りに綴っています。どうぞ いちひめ もご覧ください。
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