二人の子を国立大医学部医学科と東京大学に合格させるまで | feel my force

模試の採点は誰がやるの?

にたろう

東大に入学すると、

  • 入学式の会場で記念写真を撮りませんか
  • 入学記念アルバム
  • 東大新聞の4年間購読
  • ……

など、怪しい 必要なのかどうか判断しにくい勧誘がありました。

記念写真は、断るとして…

記念アルバムも購入しなかったのですが…

 

週刊東京大学新聞は入学後1か月無料で自宅(親の住所)に届きました。入学者限定で4年間15,000円くらい?で定期購読しませんか、という勧誘つき。

この東大新聞、オープンキャンパスで配っていたり、子どもたちが通った高校でも定期購読していて、何度か目にしたことはありました。

そうそう、増刊号を、入試の日も配っていました。

最初は購読するつもりはなかったのですが、一部約200円なのに、4年間で約15,000円といえば、送料のみで購読できる。

自宅に毎週届くうちに、心が動きました。

じゃあ、ということで、定期購読することに。

東大新聞は2021年4月より月刊化されました(一部500円、定期購読は2年間10,200円)。

 

正直、離れて暮らしていると本当に大学の様子がわからないので、毎週それなりに楽しく読ませていただいています。

週刊東京大学新聞は、東京大学とは独立した組織ですが、帝国大学時代から100年の歴史を持つ、東大構内に拠点を持つ公益法人です。現役東大生によって執筆されているようです)

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模試の採点をするのは

子どもたちが高校生の時、模試の採点は誰がやっているのかについて、少なからず疑問に思っていました。どうも、大学生が関わっているようだというのは想像できましたが…

そのヒントを、東大新聞に見つけました。

 

これは、2019年春の東大新聞に掲載された広告です。

これによると、東大実戦模試などの冠模試になると、大学生ではなく、大卒以上の人が採点するんですね。

 

わかってしまうと、なるほどそうだったのね、ですが、ちょっと、いえ、かなり安心。

 

京大実戦模試の解説には、過去に行われた懇談会での、

京大教授による入試採点に関してのコメント(数学)が掲載されたそうです。

それによると、

  • ひと昔前の「京大らしい難問」を出題すると、難しすぎて点差がつかなくなったので、標準的な問題を出すようになった
  • 答案は、数学の専門家が2回採点し、時間をかけて丁寧に採点している。これは丁寧に部分点を与えるという意味ではなく、丁寧に減点しているという意味
  • 答案用紙が黒く埋まっていても、論理が通っていなければ0点
  • 求値問題は、答えが合っていても論理が間違っていたら半分のこともありうる。
  • 高校数学の範囲を超えた解法でも、論理が通っていれば正解
  • 解答に関係のない記述は、たとえそれが正しい記述でも減点しうる
  • 最後に計算ミスで数値が間違っていても、そこまでの論理が正しく展開されていれば高得点

などです。

                  

ワタシごときがコメントするのもなんですが、高校数学の範囲を超えた解法でも論理が通っていれば正解、と、採点側の大学の先生がわざわざおっしゃってくださるのはありがたいですね。

都市伝説みたいにあるじゃないですか、その解法は入試では使っちゃダメ、みたいなの。中学入試でも、高校入試でも。

     

もちろん、学校によって、学年によって、あるいは採点をする先生によって、差はあるでしょう。

それでも、大切なのは本質である、と言ってもらえるのはありがたいことです。

論理的、を口を酸っぱくして言ってくれるのもありがたいことですし、そこを評価する採点方法であることも。

そして、そういうことをきちんと言ってくれる先生がいる時代で良かった、と思います。

                

全ての模試で、これらを踏襲して採点をしてくれているなら本当にありがたいのですが、高2までの模試では、会社によって?????な採点もあったので、あまり振り回されないようにしないといけませんね。

(ちなみに、通信添削レベルになると、会社によっては大昔のワタシの卒業名簿をたどって?勧誘が来たことも、かつてはあるので、注意してくださいね。)

  

さて、ここまでで、ちょっと思うところがあるので、最後に書いていいですか?

   

今回だけでなく、こちらの記事(東大入試 2019年から出題意図を公表)でも、何度も論理的という言葉が出てきました。

論理的に理解、論理的に組み立て、論理的に記述…って、ワタシたちって、そこまで意識させられて、教育を受けてきましたっけ?

 

これを教育しようと思うとかなり難しいことだし、小さい時から意識して継続しないと難しいと思うんですけど。

よく、子ども時代のどうして?を大切にって言いますが、実際それを学校の授業中にしつこくやるとクラスから敬遠されるし、あとで、と思っても後は後で忙しいから忘れてしまうし。

高校になってから気づいても、授業のスピードが速すぎて立ち止まっていられないし。

 

その人の人生の中で、論理的にインプット&論理的にアウトプットにこだわる期間が必要だとすると、それが、大学入試、ひいてはその後の人生で大きく差がつくとすると…

それは、本人まかせでいいのか、親や学校が意識してその道に誘導した方がよいのか…

いつまでがインプット中心で、いつからアウトプット主体になっていくのか、とか。

 

難しい問題ですが、ワタシ自身、当時ここまで明確には意識できていませんでした。

 

次はこだわって育ててみたいですね。

(次はないかー)

 

娘の成長の記録は時計どおりに綴っています。どうぞ いちひめ もご覧ください

 

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