息子にとっての高3の1学期というのは、学校行事も楽しみたいし、受験へのギアはまだトップに入ってない感じでした。
今思うと、彼が心がけていたのは、「息子流、授業を大切に」だけだったような。
時々、本当に時々なんですが、今日学校であったこと!みたいなことを話してくれました。
その日の話題は、仲良しの友達と返却された数学のテストについて話したという内容。
友だちと、数学の問題の解法について話し合う
娘の時は、返却されたテストの点数はもちろん、採点内容を友達と見せ合って考察するなんてことは、おそらく一度もなかったと思います。
ワタシの感覚でいっても、そんなものだと思っていましたが…
男の子だからですかねぇ…?
点数や順位はもちろん、同じ問題をどんな解法で解いて何点もらったか、まで全部見せ合ってた?
いつものことのようなので、いちいち教えてくれることもなかったのですが、その日は
「この問題を、A君は代数的に、B君は幾何的に、ボクは数オリ的に解いたんだー。」と。
「これを代数的に解くのはものすごく面倒な計算をしないといけなくなるんだけど、A君は計算に絶対的な自信を持っていて、途中式を一部飛ばして暗算してるのに正解してた。」
A君は普段から、息子よりずっと速く正確に計算をするので、このやり方でも時間がかかることはないそうです。
「おそらくB君のやり方が一番オーソドックスで、時間もそんなにかからない、お手本のような解法。」
で、あなたのは?
「ボクのは、数オリ的。A君の解法よりは一般的に短い時間で解けるけれど、B君と比べると微妙…。切り口が素直じゃない感じ。どうしても、そういう見方をしてしまう。」
と言っていました。
数オリ的、という呼び方があるわけではないのですが、要するに、数オリの問題は真正面から体当たりしても解けない問題が多いので、どうしても斜めから問題を眺めてしまうくせがあり、かかる時間を無視してしまう傾向があったのでした。
(数オリの予選は、3時間12問(1問1点、12点満点)。2019年予選の平均点は2.44点でした。また本選は、4時間5問です)
もちろん、それが全て悪いわけではありません。
問題によっては超エレガントな解法になって、他のクラスや、数学の別の先生からも問い合わせを受けたり、褒められたりしたそうなので。
高校生になっても、自分がよくできた!と思った部分で友達や先生からほめられるのはとてもうれしいことのようですから。
テストの時の「時間がなかった」はそろそろ対策しないといけないなぁとうっすらと思っていましたが、
当時、その部分についてこの時期から介入しなかった、ある理由を思い出しました。
学校公開日で参観させていただいた、高3生の数学演習の授業。
一つの問題について、あてられた生徒数人が黒板に自分の解法を書き、ここは力づくとか、ここがエレガント、などと意見を出し合っていました。
ひと通り解法が得られたところで、先生が、また別のオリジナル解法を披露されて、「どうだ!」と。
教室から、「うぉー」の声。
先生どや顔のうちに授業終了。
みんな楽しそうだったのです。
東大に入ってから
現在、教養学部2年生の息子。
先日、ちょっと話をきいてほしい!と言うので、なになに?と応えたら…
ある、数学の問題解説のYou tube動画( by 塾講師の先生 ) を、ワタシに見せて説明を始めました。
解の存在範囲、存在条件の大学入試問題です。
(前略 中略 後略)
要するに、この先生のやり方だと▽▽の計算がダブってしまい、その分時間のロスになってしまう。それを堂々と解説しているのはちょっとねー…
とのことでした。
問題を解く上で、時間のロス、を、最も言わなそうだったあなたが、それを言うようになったんだ!
(大学で鍛えられたのかも)
息子が東大へ進学して初めて帰省した時に、新しい環境について尋ねたことがあります。
「わからない問題を、友人と気軽に納得いくまで話し合えることがうれしい。」と言っていました。
それでもクラスはやはり、できる人・そうでない人に分かれていき、
本当に頭のいい人は、確かにいる
し、
そうでない人も、いる
のだそうです。
ベクトルの方向がみんな同じだった高校時代、ベクトルの方向がばらばらの大学時代。
今は今で、学びの多い大学生活を送らせてもらっているようです。
ちなみに、今回登場したA君・B君は、東大理一と国立大学医学部医学科へ進学しました。いまでも息子の大事な友達です。
計算が恐ろしく速く正確なA君は、小さいころに公文をやっていたそうです。
娘の成長の記録は、時計どおりに綴っています。 どうぞ いちひめ もご覧ください。
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