始まりは面白い。
でも続けているうちに、どこかで終わりを意識するようになり、
終わりを決めたら、どんな終わり方をするかを考えるようになる。
できれば、美しく、終わりたい。
ちょっと気どって書いてしまいましたが、人生全てにおいて言えることですよね。
習いごともそう。
子どもも忙しい
子どもの習いごと全盛期といえば、幼稚園から小学生後半まで。
娘は小学校時代、最高週3日(3種類)の習いごとをしていました。
周囲のお友だちをみても、たぶんこれは平均的で、週2日の習いごと一つと週1日の習いごとを一つ~二つ…など、我が家より多いスケジュールのお子さまも多々いらっしゃいました。
基本的にはスポーツ系に力を入れるなら週2日以上になってしまいますし、音楽系はレッスンは週1日でも、家庭での練習時間も必要ですから、学校のお友だちと遊ぶ約束もおちおちできません。
お子さんが好きだから通わせていらっしゃるご家庭、親がマジで力をいれて通わせているご家庭…本当にいろいろでした。
我が家にとっての習いごとは、子ども時代にいろんな経験をさせるためのもので、教養の位置づけですね。極めるとか、プロを目指すとか、そういう目標は持っていませんでした。
実際、そういう出会いもありませんでした。
ただし、
- 一度始めたら続ける
- 続ける中で目標を持ち、成功体験につなげる
- 辞めるときは計画的に、前向きに
を守ってきました。
ですから、それなりにポリシーをもって選んで始めたつもりでしたし、やってよかったと思える結果を得て、満足して卒業できるように、を一つの信条としていました。
つもりですが…
それを守れなかった習いごとがありました。
気まずい辞めかたをさせてしまった
ピアノの先生
娘にはピアノを習わせていました。
ワタシが娘にピアノを習わせた理由は、
- 何か音楽系の習いごとをさせたい
- ワタシ自身が子ども時代に習っていて、なんとなくよかった記憶がある
- 子ども時代に左右両手を意識して操るトレーニングになりそう
みたいな、とても漠然としたものでした。
理由はこんなに大ざっぱなのに、先取り教育大好きな当時のワタシは、幼稚園生活に慣れたら、なるべく早めにピアノを始めさせたいと思っていました。
知人に紹介していただいた、比較的自宅近くの個人のピアノ教室に通い始めたのが、年中さんのとき。
入会前、先生の方針である、
- ピアノを楽しもう
- 百歳になってもピアノを弾いて楽しむ人生にしよう
- 「ピアノの演奏は自由に。指だけじゃなくていんです、肘も使っていいんです」
という、斬新なモットーに素直に共感したので、ワタシとしては、この先生おもしろいな・いいんじゃないか、と判断したんです。
このモットーの下で、易しいモーツァルトやベートーヴェンの曲、そのうちショパンをちょっとかじらせてもらえばいいかな、、とも想像していました。
でも、これはワタシの大きな勘違いでした。
ピアノを楽しむ・自由に弾く…とは、テクニックを上げることに重きを置きませんよ、という意味だったのです。
そこまで想像力が働いていませんでした。
曲へのアプローチが違う
当時のワタシの認識として、
ピアノのレッスンといえば、まずは楽譜が読めるようになって、指使いをマスターして、曲を弾けるようになること。
テクニックが上がってから、曲の理解をして、感情を音に乗せる演奏の練習をする
だと思っていました。
大まかにはそうなんでしょうが、これって古いのかなぁ。。
娘の先生はどこか違う。どこが違うんだろう?
そうです。指使いの基本ができた後は、曲の理解や感情を音に込めることを重視した指導が顕著になってきたんです。
当然、レッスン用の練習曲集も、聞いたことのない現代曲が多い(ような気がする)。
そっちは目指してないんです。そういうところじゃなくて、テクニックを上げてもらえばいいんです。ほどほどでいいんです。百歳になってもいわゆるクラシックの易しい名曲がさらった弾ける程度で十分なんです。
さらに、難しいと楽しく弾けないからというお考えなのか、チャレンジ的な曲に挑戦させてもらうこともなく、家での練習もそんなにきつくありません。
ツェルニーとかソナチネとかインベンションとか…ワタシが育った方式の曲はいつになったら練習するの?
曲選びがワタシと違う
そのうちワタシは、毎年行われる発表会で先生が選ばれる曲が、いわゆるクラシックの子ども向けの名曲がとても少ないことに気づきます。
それもなんだか、ちょっと納得いかないワタシ。
ほんと、頭のかたい親だと思われていたかもしれませんが、ある年、発表会で弾きたい曲がありますか?という先生からの質問に、
モーツァルトのトルコ行進曲(をちょっと易しくアレンジしたもの)
って答えさせちゃいました。
普段弾いている曲とは、温度も色も違う曲なので、本人の希望というより家族のリクエストだということも、先生は気づいていらっしゃったでしょう。
やってみたいならどうぞ、みたいな感じで許可が下りて、
ワタシが楽器店に楽譜を買いに行って、家で練習させて、先生にもレッスンしていただいて、
本番でもノーミスで弾いてくれました。
そして、発表会が終わったら、何ごともなかったように、また、もとの現代音楽の練習曲集に戻りました。
コンクールに出る教室ではありませんし、かといって娘は、百歳まで弾き続けたいというほどピアノが好きな様子もありません。
娘にとってのピアノは、数年習い続けていても、「みんながやっている」「親がやれっていうからやっている」「自分もそこそこできる」だけの存在でした。
いろいろなことが重なって辞めることに
この先生は、とにかく感性を大切される方だったからか、教室の生徒さんと一緒に遊園地へ行って遊んでくる、などというイベントも時々開催されました。
保護者同伴ときもあれば、先生だけが連れて行って下さることも。
子どもたちは喜びますよ、楽しいですから。学校が違うお友だちと遊べますから。
でも、保護者同伴でないときは、引率の大人は先生お一人。
「学年の上の子が面倒見ますから、大丈夫ですよ」って軽く言われちゃったのには、正直方針が合いませんでした。
本当に大丈夫?大地震が来ても守ってくれるの?ーーーーー 直接は言いませんけどね。
仮にワタシが、我が子のお友だちを複数人お預りして、自分ひとりが引率者になって、電車に乗って、あるいは車に乗せて、連れていくか?って思うと、よほど覚悟して引き受けないと。
何かあったら大変ですから。
そんな思いを持っていたので、不定期に開かれるお遊びイベントには、参加させたり・させなかったり…
本人の希望も加味して行かせると決めたときは
地震や事故など、思わぬことがたとえ起こったとしても自力で帰って来られるよう、行き先の地理のこと、乗る鉄道のことや最寄り駅のこと、誰に助けを求めればいいかをシミュレーションするなど、行く前からひと騒動でした。
(ほぼ我が家の名物)
あるとき、娘がほんの小さなケガをして帰ってきたことがありました。
娘本人とすれば、学校でそれより痛い思いをしても、たぶんワタシに申告しないレベルの小さなケガでしたが、先生はケガをした経緯と状況をお話して下さり、すみませんでした、と、深く頭を下げられました。
なんて正直な方。全然気にしてませんよ、むしろわざわざ教えてくださってありがとうごさいます。そもそも、イベントに参加させると決めたのはワタシですから、ワタシに責任があります。
なんですよ。なんですけど、、
別に、ピアノの先生に情操教育としてここまでしていただく必要はないなぁ、とはっきり思ったのでした。
そして、それからまもなく、
今度は、娘がレッスン日に先生のお宅に伺ったところ、お家が閉まっていたから帰ってきた、
ということが2回連続ありました。
2回とも、普段のレッスン日とは違い、先生の方から日時の変更をしてほしいと言われた日でした。
「30分ほど外で待っていて、帰ってこられないから、戻ってきた。」
え?30分も他人様のお家の前で立ってたの?
携帯電話を子どもが持っていない時代ですからね…まぁ、これもいい経験ですよ、無事だったから、すべてOKです、、、よ。
でもなんか、ここでぷつんと糸が切れました。
あ~、たぶん今は辞めどきなんだ、と。
娘もワタシも、これ以上続けてもピアノと仲良くなれないだろうと分かっていました。
また、ピアノ教室は、まだ続けないといけないもの、でもありませんでした。
先生には申し訳ないけれど、
「娘のピアノへの意欲がなくなったので」
という理由でその月じゅうに辞めてしまいました。
辞めるときって、学年や大会の切れめをめざしてあらかじめ設定したり、先生側に伝えておくのが筋ですよね。
あるいは、どんなに遅くてもその月の初めにはお伝えするのが常識ですよね。
なのにあのとき、我が家は、
先生のレッスンが連続2回とんだ時点で退会を決め、その月があと1週間で終わるというときに、
勝手ながら退会させていただきました。
本当に勝手ですみません。
先生は後日、最後のレッスン月は1回しかレッスンしなかったのにお月謝をいただいたので、と、
お家で弾ける練習曲集をプレゼントしてくださいました。
それがこちら、
ソナチネの友・ピアノ小品55曲集2
でした ↓↓
そうよ~、こういうのやらせて下さったらよかったのに~、でも、先生の趣味じゃないですよね。
この練習曲集をわざわざ選ばれたことに、いろいろな意図を込めていらしたのかも…
まぁ、いいか。
先生とワタシは、おそらく年代がかなり近いです。
先生は教える側で、ワタシは我が子を習わせる親です。
先生は音楽家で、ワタシは素人です。
どちらかが一方的に正しいわけでもない、良くないわけでもない、
ただ、合わなかったんです。
先生ご自身は子ども時代、コンクールにどんどん出るようなピアノ教室へ通われ、いわゆるクラシックの名曲をたくさん弾けるようになって音大へ進まれた後、どこかで壁に当たり、指導者になってからは、音楽を楽しむことに徹するピアノレッスンを心がけていらっしゃったそうです。
ワタシ自身も子ども時代、コンクールに出るようなピアノ教室に通っていましたが、小学生のうちに早々と限界を感じて辞めたので、逆にもう少し我慢して頑張ってテクニックを上げ、難しい曲が弾けるようになりたかった思いがあり、それを娘に託していただけでした。
先生の思いもワタシの夢も、娘に反映されないまま約6年。
習いごとは始めたら 簡単に辞めない、だけを果たしました。
判断が遅かったと後で気づく
娘はそれ以降、ピアノを弾くことはありません。
ワタシも、あのとき辞めさせことに後悔はありません。
今、冷静になって考えると、先生に礼を尽くしつつも、もやもやを持ちながら長く習わせてしまったと思います。
もっと早く先生を変えるとか、ピアノを辞めるとかの決断をしなければいけませんでした。
ワタシ自身、学習塾で教えた経験がありましたので、早く気づくべきでした。
本来、先生という立場の人は、その場ではベストを尽くすけれど、子育てに関わるわけじゃないし、口出しもしない、してはいけない。
その子のご機嫌が悪くてその日の授業が進まないとき、たとえ親がビシビシお願いしますと言ったとしても、その子がご機嫌を直してくれる方にまず注力します。
ましてや親がNOと言ったら、それが教室側と方針と全く違っていたら、辞めてもらった方がお互いのためでしょう。
なのにワタシは、言葉にできないもやもやを理由に辞めるのって失礼だな、とか、もう少し続けたら変わるのかな、などの、判断を遅らせる理由ばかり探していました。
ぶっちゃけ言ってしまうと、4年め頃から少しずつ「??」になってきて、辞めるまでに2年もかかってしまいました。
三日三か月三年って巷では言いますけど、3年を一区切りにしていろいろ見直すのって大事だなぁ…
ワタシは、あの先生に何を期待していたのだろう?
子育てって、ほんと親の責任重大ですよね。
いい塩梅に子どもを伸ばしていきたい。
でもその塩加減は、親にしかできないということをもっと自覚して、早く判断すべきでした。
以上、ただただ恥ずかしいだけのエピソードでしたが、
皆さまの参考になりましたら幸いです。
今回もお読みくださり、ありがとうございました。
息子の成長の記録は 時計の逆回転で綴っています。どうそ にたろう もご覧ください。
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