娘が小学校1年生の時の担任の先生は、
図工が専門科目の先生でした。
小学校受験する前の噂として、
附属小学校は、時間割をまたいで授業の延長をすることがあるので、本当は算数の時間なのに、図工をやったりする
という、???なことを耳にしましたが、
それはさすがになかったみたいです。
ただ、小学校1,2年生には、理科と社会の代わりに生活科というのがあって、
それは2時間続けて時間割がとってありました。
もしかしたら、このことをどなたかが勘違いされたのかもしれません。
また、
秋の教育研究発表会の直前になると、
担任の先生の授業科目が、
ちょっとだけ多めになります。
でも、それが授業に支障をきたすことはなかったです。
先生は芸術家
例えば、いや、ちょっと例えがビッグすぎますが、
2019年にできた国立競技場や、2020年の高輪ゲートウェイ駅のデザインをされた建築家の隈研吾氏は、
東京大学の教授もされています。
先生ご自身が、アカデミーと実践の場の両方を持つことで、レクチャーだけにならないよう、学生さんと一緒に学ぶ場を育んでいらっしゃる代表的な例ですね。
ワタシの感じた附属小学校の芸術の先生は、ちょっとそんな感じの芸術家な先生が多かったような感じがします。
小1の娘のクラスの先生の、教育研究発表のタイトルは、
「おむすびころりん」の絵を描こう
だったんですが、
直径が1メートルくらいある大きな円形の画用紙の、
真ん中を土の中、外側がおじいさん達のいる世界と設定して、
あとは自由に絵を描くというもの。
フェルトペン・クレヨン・絵の具などを使って自由に描きます。
本人が楽しく描いた結果、全体的に薄汚れた作品になっているように思えるのはワタシだけだろうか…?
この円形の画用紙、裏を段ボールで補強し、中心をピンで留めるので、ぐるぐる回して鑑賞することができる工夫も。
先生方は大変でしょうね…指導要領にない新しい取り組みをしないといけないので…
でも、そこは芸術家。
ご自身の創造力をめいっぱい膨らませ、児童の自由な発想を掘り出そうとなさっている取り組みだということが、
いろんな作品の製作過程で伝わってきました。
正直、こういう取り組みをさせてもらえるのは、親として
とても有難かったです。
学校から帰宅した娘から、今製作中のものについての話を聞くのも楽しかったですし、
保護者会などで学校に出向くと、いろんなオリジナリティーあふれた作品が展示してあり、楽しませてもらいました。
だから、それが成長にどう影響したか、、と言われると、
それはわからないんですけどね。
いろんなアートのセンスを育んでもらったような気はしています。
現在の娘ですか?
イラスト上手い、手先が器用。
実は、医学部で学ぶ上で、即興でいろんなイラストを描かされまして、これにはとても役立っているようです。
また、手先は…
やはり、医療従事者に手先の器用さを求められるのは当然でしょうが、、、
縫う練習や結ぶ練習を普段からやっていて、上手いね、って褒めてもらえるそう。
といいましても、あくまで練習段階ですのでね…
こちらについては、まだ医師になっていないので、未知数。
また、わかったら、ここでお知らせしたいと思います。
ワタシの時代も…
さて、このブログで何度か触れてきたのですが、ワタクシ自身も国立小学校の出身でして、
ワタシの小学生時代の時の図工の先生も、なかなかの芸術家がいらっしゃいました。
小一でお世話になった先生は、うーんたぶん40代だったかな、
教職を退職されて、画家になられましたし、
もう少し上の学年でお世話になった先生は、
画廊の経営 兼 画家に転じられました。
教育研究発表会でも、布のキャンバスに水彩絵の具で絵を描いたり、歴史上の画家になり切って新しい画風で描いてみるとか、、、
ワタシには絵の才能は全くなく、美術系の科目は中学で卒業してしまったため、
逆に、自分の人生の中でも、あの時しかやらなかったことをたくさん挑戦させてもらったような気がします。
いずれにしても、図工の先生は、小学校教諭、というより、絵が好きの方が勝っている先生が多かったように思います。
感性も、先生というより芸術家。ちょっと面白い時間でした。
さて、娘の円形の作品、結構巨大だったのですが、
ふと思いついて、近所の画材店で額を作って入れてもらいました。
ここまでしないと、作品って、残りませんよね。。。
なんかでも、子どもの作品って、家族の幸せの象徴かな、、て思っちゃったんですよ。
作品の良しあしは別として、ね。
当時、子育てを楽しむための、目に見える形の一つでした。
息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください。
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