娘がピアノ教室に習いに行き始めたころのこと。
ピアノの先生に、お嬢さんには絶対音感がありますね、と言われました。
え?まだ4歳ですよ、ドレミを先生から教えていただいたばかりですよ、それでわかるんですか?
絶対音感があると何か役に立つことがありますか?
絶対音感とは、音を聴くと音階がわかる感覚のことです。
ピアノなどの楽器で出された音の音階がわかるだけでなく、
今日の雨の音はラに聴こえるとか、あのバイクの音はミだね、とか…
当時のワタシは、つい、このピアノの先生に尋ねてしまいました。
絶対音感があると何か役に立つことがありますか?
先生は、答えに窮していらっしゃいました。
当時の話題作に、 最相葉月「絶対音感」という本がありまして、、
バイオリニストの五島みどりさんが、もともとは絶対音感がなかったけれど、後天的に絶対音感を身につけるのが大変だったというくだりが特に印象的だったのですが、
一般的なことも含め、絶対音感についていろいろな側面から書かれていたと思います。
著名な音楽家で絶対音感を持っている人は一定数いる、
バイオリンのような自分で調弦しなければいけない楽器の演奏家は絶対音感があると便利であると言われ、
一方、ピアノの演奏者の場合、その日のお天気や湿度によって音が変わってくるので、違和感を持ちながら演奏することもあるといい、
一般の生活では、生活音が音階として聴こえるので、これらを「気持ち悪い音」として感じる人もいる、
といった内容だったかな。
絶対音感があると、耳コピで演奏ができるので、ちょっとした”かっこいい人”にもなれそう!(素人の考え方です)
一時期絶対音感トレーニングがブームになったことがあり、ヤマハ音楽教室などで宣伝していました。これは、絶対音感は後天的にも身につけられるものである、という考え方ですが、
音感に関する脳の発達との関係で、6歳までに始めないと身につかない、などとも言われていました。
ちょっと、スズキメソードっぽいですね。
今では、「ラ」の音を、一般的な440Hzからわざと442Hzに変えて調律するオーケストラや、
モーツァルトの曲をわざわざ432Hzで合わせて演奏することもあるそうで、
440Hzの「ラ」を正しいとする絶対音感が、かえって邪魔になるなどと言う人もいるそうですが…
絶対音感を持っている人は相対音感ももっているし、転調も得意だし、そんなことは簡単に対応できるのがプロじゃないの?なんて思ってしまいます…
で、トレーニングなし、気がついたら絶対音感を持っていた娘にとっては、どうなんでしょうか。
絶対音感が直接有利になったことはない
そこで絶対音感も、フォトグラフィックメモリのような、有利な使い方はないものかと、当時は一応考えました。
考えたのですが、
ないですねぇ。。。
歌うことやピアノを弾くことは普通に好きなものの、
特に、音楽の道に進ませるプランもなかったですし、
バイクや雨の音が音階別に聴こえて気持ち悪い、などの不自由もなかったみたいだし…
娘の年齢が上がって、クラスで合唱などを練習するとき、最初の音が間違ってる、だんだんずれてきたと気づいたとか、
あの人のしゃべる声は倍音がきれいに入っていて、心地いい、などと言っていたことはありましたが、それだけ。
ワタシ「この音の音階はなに?」
娘「ラだよ」
ワタシ「ほんとだ、すごーい」
(終了)
努力せずに得た能力を、その能力のない人から「すごーい」と言われても、娘もピンときませんよね。
我が家の中での、娘の絶対音感の扱いはこんな感じ。
なんか、ずいぶんな扱いですよね。。。フォトメモリとはえらい違い…
なんですけど、
医師になる今後、聴診はもとより、いろいろな場面で絶対音感ゆえに感じるものがあるかもよ♪ などと、勝手に期待しています。
名前のついてない能力もたくさんあるはず
娘は実は、
共感覚
も持っています。
共感覚の代表的なのは、音や文字に色がついて見える、というものです。
人にも色がついていて、
娘はさくら色、ワタシはワインレッド、息子はスカイブルーなのだそうです。
以前、ワタシの知り合いのグループの方の”色”について訊いてみたら、
Aさんは『インディゴブルー』、Bさんは色というより、『海(海ってなんだ⁉)』…
などと答えたことがありました。
それについて後日ご本人に確認したところ、
Aさんは、伝統芸能の保存に力を入れていて、法被の濃い紺色をすごく好んでいる方、
Bさんは、休日の度にサーフィンに出かけるような海男くんでした。
ワタシも娘も、その方々の私生活のことまではもちろん知りませんでしたので、
そう言われた Aさん Bさん共に、とても驚いていらっしゃいました。
娘本人が共感覚があると認識したのは、
中学生の時に読んだある雑誌の読者欄で、共感覚の持ち主の方の投稿を読んだ時でして、
「これ、ワタシもわかる」
と言い出したことから。
それが、共感覚と呼ばれていることをワタシも家族も知りませんでしたし、どう呼ばれようと呼ばれまいと、娘にとっては当たり前の一部でした。
つまり、
一定数の人がすでに持っていて、それが誰かに”発見”され、名前がついていれば、「能力認定」されるけれど、
能力がレアすぎたら他人に発掘されないし、名前もつかない、ということですよね。
そんなこんなで、
ワタシは気づいてしまったのです。
人は、たくさんの能力を持っていて、おそらくそれは名前のついている能力の方が少なくて、
たまたま、名前のついた珍しい能力を持っている人は、もてはやされるかもしれないけれど、
本当はそうではなく、
誰もが
無意識に、自分の持っているすごい能力を駆使して生きているんじゃないか
と。
人間は脳の10%しか使っていない、とよく言いますが、本当は解明できてないだけじゃないの?
と。
人は脳の10%しか使っていないのは本当なの?
人が脳の10%しか使っていないとされる説の根拠としては、大きく3つあるそうです。
- 『アインシュタインが「人間は潜在能力の10%しか引き出せていない」と言った』と書かれている ウィリアム・ヘルマンス 「 アインシュタイン、神を語る 」という本による
- 『脳内90%は「グリア細胞」で占められており、このグリア細胞が電気信号の伝達を行わない』とされる説から
- 『動物実験により、脳を刺激しても変化が起こらない部分や、役割が判明しない部分、いわゆる「サイレントエリア」が約90%ある』という説から
しかしながら、2015年にマサチューセッツ工科大学の ピカワー学習・記憶研究所が、『サイエンス』誌の中で
脳の各領域は共同して情報交換を行いながら処理をしている
ことを発表しました。( https://news.mit.edu/2015/multiple-cortical-regions-process-information-0618 )
それまでの、ヒトの脳はそれぞれの機能を司る領域に分けられていて、ひとつの情報を処理する際にはその機能を司る領域のみが使われているという説を覆し、
脳は作業を行う場合に、脳皮質は相互に情報を共有し、きわめて活発に連携して物事の処理にあたっているという発表がなされました。
だとしたら、(いきなりはすちゃんの適当な推測始まる)
フォトグラフィックメモリで、文字と画像を融合させ、
絶対音感で、音をデジタルで理解しようとし、
共感覚では、物に付加価値をつけて評価しようとしているのかもしれません
こんな融合処理が、現在ばらばらに名前がついている能力だけのはずがないですし、
それを意識せず、無意識でやっているとしたら、…
ヒトってまだまだ(知らない)能力高そうですね~。
AIには負けませんよ。
って、、、それが言いたかったの⁉
(まぁ、それもちょっとはあるかな…)
個々の人が、自分の当たり前を当たり前と思わず、もっと伸ばしていくことができれば、
これからの未来が変わってきそうです。
息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。 どうぞ にたろう もご覧ください。
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