二人の子を国立大医学部医学科と東京大学に合格させるまで | feel my force

ママは何歳?

いちひめ

これまでの記事で、

娘には、就園前に100まで言えるようにしました!

と、はりきって書いたわけですが、

 

はい、確かに言えました。

時計も、幼稚園の年少さんの時点で「読めて」いたわけですが…

 

こういう類って、

ウチの子って天才♡

とか、

5000年に一人かも♪

なんて、思っちゃいがちで、、、

 

ちょっと思っていました

 

こうやって、親を喜ばせてくれるのですから、子どもって神ですよね~、ほんと。

 

とはいえ、本当に天才かというと…まぁ、違うよね、

5000年に一人かというと…普通に違うよね。

 

そもそも、100まで言えたからといって、数の大小がちゃんとわかっていたかというと、

わかっていませんでした

 

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ママは何歳?

幼稚園になると、ママは何歳?問題が勃発します。

家で、こっそりきいてくれるならちゃんと教えてあげるよ

なんて都合のいいことはなく、

お友達のいるところで、お友達ママのいる前で、容赦なく訊いてきます。

   

ママ同士、何歳違いでもママ友ですから、上も下もないじゃないですか。

マジレスするのもね~。

かといって、実年齢より若く言うのもイタいし。

 

ということで、

早い段階で、返答を決めたワタシ。

 

それからは、ママって何歳?って娘に訊かれたら、

ママは100歳だよ

と答えることにしました。

 

これね、意外と便利でして、他のママも温かくスルーしてくださるのですよ。

なかなか都合の良い返答でした。

 

また、娘はワタシの母と仲良しで、

あるとき母にも年齢を尋ねたことがありまして…

母は、その質問に対して質問返し。

「何歳に見える?」

 

たぶんその時、娘は48歳と答えたと思うのですが、、、

その数字になんの根拠もないのに、

母としてはほっくほくですよね。

 

しばらくの間、

母48歳、ワタシ100歳。

で通ってました。

 

当時、

目の前のリンゴ3個とみかん2個を比べて、どっちが多いかはわかってましたし、

おはじき10個を、1・2・3 … 9・10 と数えることもできていたんですよ。

でも、母とワタシの年齢の矛盾には気づいてなかったみたい。

 

数の大小に気づくのはもっと後

母48歳ワタシ100歳が、どうもおかしいと言い出したのは年中さんになってから。

 

気づいちゃったか~。

  

と、いうことで、100まで言えるのと、目の前のリンゴとみかんの数の大小と、(年齢という)抽象的な数の大小を認識することとは、まったく別だということがここではっきりしたわけですが、

さらにこれは、小学校に入ってからのたしざんカードをやることで理解する数の大小について、年中さんの時でもまだまだわかっていなかったことがはっきりします。

 

子どもって、ちょっとでも知っていると

「知ってる」というし、

例えば、ミッキーのグッズを持っていると、他のグッズでもミッキーがついていたら

「持ってる」というし、

 

それを大人は喜んで、

「すごーい」とか「いいなぁ」などと言ってしまうので、

おそらくめちゃくちゃ齟齬が生じていると思うんですけど…

ワタシもうすうす気づいていながらも、行き当たりばったりで、インプットしてしまったのですよね~。

 

ということで、娘が年中さんの頃に懲りもせずやらせたのが

九九の歌。

もう、どこまでやらせたいの?って感じですが、

九九の歌も一緒に歌って言えるようにしました。

 

うーん、これも1から100までと同じで、

ただ、言えただけ、ですよ。

  

無駄なことはないと教わる

実は、当時たまたま読んだ記事がありまして…

それが、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹先生のお言葉です。

 

自分は小さいとき、論語などの中国の古い書物を暗唱させられた。あの時は意味も分からず面白くもなく、どうしてそれをしないといけないのかわからなかったし、苦痛だった。しかし、大人になるとそれがいろいろな点で役に立っていたことがわかる。

 

という内容でした。

あんな偉い先生でもそんな幼児記憶があるのか~~

どころではなく、湯川先生はとても厳しいおじいちゃんとお父さんに育てられたそうです。

(昔の人というだけで、厳しそう)

 

この言葉を拡大解釈させていただいた結果が、

意味がわかっていなくても、1から100までを、九九を娘にインプットした一つの根拠になっています。

しつこいようですが、楽しく、が大切ですよ。

(湯川先生談にはその続きがありまして、教育が厳しすぎて親子関係にひびが入ってしまったそうです)

  

子どもの吸収力はすごいものがあります。

でも、我が家のこの例のように、理解していないことも多々あって、

教える側はそれを知っておかなければいけません。

わかってないけど、丸覚え。

 

国旗でもいいし、草花や虫の名前でもいいです。

英単語でもいいです。

親子で楽しくできるなら、なんでもいいと。

 

九九を暗唱したのは、…小学校で九九を学んだ時にそれなりに役に立ったと思いますし、九九で苦しまなかった分、小学校高学年で出てくる分数の約分や通分に拒否反応もなかったような気がします。

 

一般的な早期教育って、結局そんなものなのかもしれません。

 

天才は小さいときから違うらしい

世の中には生まれながらの天才がいて、

例えば、水泳の荻野公介さんは、幼稚園の段階で選手育成コースに入っていたといいますし、

ピアノの牛田智大さんは、5歳で当時住んでいた上海のコンクールで優勝しています。

この人たちは、きっと生まれる前からこの道に進むことを決められていて、一刻も早くそれを見出してもらうルートに乗っていたのではないかと思われるレベルなので、

才能の開花も圧倒的に早いです。

 

そういうお子さんはいいんです。その道に進めば。

(もちろん、その道はその道で厳しい道ですが)

 

問題は、そういう才能が見えていない子どもたち、うちの子達はもちろんこちら側ですが、こういう子どもに対しては、とにかくいろんな可能性を、親が見つけてやるしかありません。

あるいは、ある程度親が主導となって、道を照らさなければいけません。 

 

その一つの道として、学力である程度アドバンテージを取ること、しか、思いつかなかったんですよね~。

それが手っ取り早かったから、それなら道を照らすことができると思ったから…。

 

将来、行きたい道が見つかった時に、学力不足が理由で、断念しなくてもいいように。

 

その先、医学部や東大を目指させることになるとは想像もしていませんでしたが…

大学生になっても、まだ、我が子達にとって、これ!という道はまだ見つけられていないようです。

 

息子の成長の記録は、時計と逆回転で綴っています。どうぞ にたろう もご覧ください

 

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