二人の子を国立大医学部医学科と東京大学に合格させるまで | feel my force

鈍感力

子育て

上の子にとって初めてのことは、親のワタシにとっても初めてということで、いちいち戸惑います。

幼稚園に行かせるというのは、外のルールを親以外の人によって しばられる 従わされる 指示されて行動することですから、ある意味一家にとっての一大事。

 

特に朝は頑張りました。ワタシが。

時間に遅れないように、忘れ物のないように、

朝ごはんもちゃんと食べて、笑顔で送り出す

 

送迎バスでお会いする先生に気持ちよくご挨拶

 

家ではしっかり睡眠を取らせて、規則正しい生活を心がけ、早く寝る。

幼稚園に行きたくないと言い出すと困るので、楽しい幼稚園でよかったね、と洗脳。と笑顔で普段の会話に挟み込む。

 

外での態度が悪いと ワタシが恥をかく 本人が恥をかくので、

「それ、お外でやったら恥ずかしいからやめようね。」の項目がずいぶん増えました。

 

こんな風にワタシから娘へのインプット項目も増えるわけですが、

ちょっとずつ、娘の「今日こんなことがあったよ」的なアウトプットも出てきます。

そこには、ワタシの知らない娘の姿があるわけで…

きゃーっ、気になる!

 

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小さい時から鈍感力高め

娘にとって、幼稚園というところは、とても楽しくとても刺激的な場所だったようです。

年少さんのクラスは月齢で分かれていて、早生まれの娘の入ったクラスは、みんなまだ3歳になったばかり。

先生のお声がけで一緒に何かをやっていても、それは一緒にやっているように見えるだけで、みんなばらばら

穏やかなクラスだったようで、けんかもありません。

 

けんかもありません。

 

と思います。何もきいていないので。

けがもしていないし、泣いて帰ってきたこともないですし、幼稚園からも何も連絡がないし、他のお母さまからも何も聞きませんでしたし、苦情もなかったので。

 

と、ここまで書いて気づきました。

娘は小さい時から鈍感力が高めだった。

 

娘が関わるトラブルはたぶんなかった(と思う)のですが、小さい子が何十人も集団生活している教室の中で、トラブルゼロなわけ、ないですよね。たぶん。

 

本人は気づいてない?関心がない?

 

当時、娘が幼稚園から帰宅したあと、家でよく幼稚園ごっこをしていました。

手っ取り早く、消しゴムやクリップを先生や園児に見立ててテーブルの上に並べて、

一人で先生の役や子どもの役をやってました。延々と。

 

その様子を見ていると、先生がきちんと指導をしていて、クリップちゃんたちはきちんということをきいています。

席も決まっていて、消しゴム先生が、クリップちゃん達に声をかけていきます。 

 

このクリップ幼稚園で良くお名前のでるお子さんが数人いたので、きっと仲良くしているのだろうと思って、

幼稚園の行事でそのお母さまを見つけてご挨拶をすると…

    

(ん?反応薄い?別に仲良くしてない?)

もしかして、そばにいるだけ?みたいなことも何度かありました。。。

 

まぁ、本人が楽しそうにしているならいいか。

みたいな幼稚園スタートでした。

 

特定項目受信型の娘

今思えば、小さい時は本当に受信型の子で、幼稚園でいろんなことを見聞きしていろいろ理解は深めているようでしたが、それを家で ”クリップ幼稚園型の復習” をして終わり。

 

例えば、

「先生が、○○ちゃんを叱ってたー。」(なになに)

その時の様子を、詳しく詳しく説明してくれます。

「それでどうなったの?」

「…」

 

特にそれに対して発信も行動もしていないもよう。

受信したことはよく覚えているのですが、受信範囲は極めて狭くて、興味のないことは全く知らないことも多々でした。

そんなものなのかなぁ、と思いつつ、親のワタシとしては、いろいろと心配の種を作っては密かに心配していました。

   

鈍感力が幸いしたこともあって、、、

これは小学校に上がってから後のことですが、女の子同士でグループができ、グループ同士が対立関係になったとき、

「どっちにつくの?」と両方のグループから言われたのだそう。

 

(グループ対立?そんなの知らなったし、決められないし、と思い、、)

 

「どっちにもつかない」と答えて、結局中立の立場でみんなと仲良くしちゃった! と、ちゃっかり巻き込まれ回避したそう。

 

たぶん、友だち関係が常に “中距離” だったのだと思います。

近距離で起こるトラブルは完全に回避していました。逆に言えば、超親密なお友達関係もなかったですけどね。

 

失敗するまで待たない

鈍感力が発揮された結果、弊害もありまして、

この性格のまま成長したので、何事も興味のあることは完璧にやろうとするのですが、興味のないことは全くできないことがありました。

球技系は、大きいボール小さいボールのどちらも絶望的だったなぁ…

 

失敗から学ぶ、失敗は成功のもと…など、人生における失敗は必要なのですが、

娘に関して言えば、失敗以前に気づいていない、気づかないから取り組まないところがありまして、

ある程度手っ取り早く興味を持ってもらい、取り組んでもらいたかったので、

    

高校生までは、ワタシがかなり意識して、あれやれば・これやれば、を言い続けました。

全部に手が回るわけではないので、優先順位の高い順にでしたが。

    

これは本人任せにできない と判断したことは、(嫌いになる前に)一緒に方法を考えましたし、

あなたはやるべきことがインプットされればちゃんとできる人だよ、と、魔法の言葉のように言うようにしました。

まぁ、ワタシが待っていられなかったのもありますけどね。。

 

これについては賛否両論、いや、反対意見をお持ちのお母さまの方が多いかもしれません。

でも、やっぱり娘が 気づくころぶ まで待っていられなかったなぁ。。

 

今でも

大学生になった今でも、娘の鈍感力は発揮されていて、

(1学年100名あまりの狭い世界で)日々起こる出来事の中で、知らなくていいこと友だちのリア充ニュースは、ほとんど知らずに生きている、と言っていました。

飲み会などで、それも知らないの?と言われながらまとめて教えてもらって、でも、そのうち忘れちゃうんだよね、と。

 

ここまで来たら、それってもはや長所じゃないの?

って言っています。 

 

失敗とか気づきの方は…さすがに大学生になってワタシも口出しをやめたのもあり、時々やらかしていて、最初の方はものすごく戸惑っていましたが、

やっと最近は、その失敗はいずれするべき失敗だったから、今で良かったね、と、言えるようになりました。

気づかないこと、不得意なことはまだまだありますが、自分なりに必要に応じて対応すればいい、よね。

  

娘もワタシも、成長しました。

 

まだまだ、初めて尽くしは続きます。

 

息子の成長の記録は、時計の逆回転で綴っています。 どうぞ にたろう もご覧ください。

 

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